前回は参加を見送ることにした「文学フリマ東京」。あのときは、“あぁ~このまま私の創作人生も、静かに終わっていくのかしらね……”なんて感じ入るところもあったのだけど、いやいや、待て待て……
「私、“届けること”、やりきれてないじゃん!!!」
(紙の本まで作ったのに、結局 “どこにも・誰にも” 届けられてないじゃん!? それなのにあんた、このまま死ねるの? 人生終われるの??)
というわけで、この秋 私は、小説『くちびるリビドー』とともに東京に向かいます!
(やっぱり……リアルなこの世界で、“やりきらないこと”には終われないよね☆)
Amazonにて《1780円+税》で販売中の本作に(←高くてゴメン! ページ数で価格が決まるのです&個人出版しました)、
まだどこにも発表していない『Who am I ?』(くちびるリビドー 番外編)(超短編です)と
『くちびるリビドー2(仮)』の冒頭部分(小冊子)をセットにして、お届けします♪
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「私がウニみたいなギザギザの丸だとしたら、恒士朗は完璧な丸。すべすべで滑らかで、ゴムボールのように柔らかくて軽いの。どんな地面の上でもポンポン弾んで生きていけるし、水の上ではプカプカ浮くことだってできる。それに比べて私は、ところどころ穴だらけで、形も微妙に歪んでて、ギザギザの棘だって見かけだけで実際は簡単にポキッと折れちゃうし。そのくせ『きれいな水の中でしか生きられな~い!』とか言っちゃって、とことん自分が嫌になる」
この“満たされなさ”はどこから来て、どこへ向かっていくのだろう……。
あの頃、私の頭の中は「セックス」と「母乳」でいっぱいだった。
私の場合、そのモチーフには不思議と『歯』が選ばれる。
ずるずると手繰り寄せた夢の先、それは誰かに向かって話しているとき突然ボロリと抜け落ちてきたり、咀嚼する食べ物の中にゴリッと不意打ちで混ざり込んでいたり、息もつかせぬ不快さで向こう側の私を縮み上がらせる。ほかの登場人物には一切伝わることのない、主人公である私にだけ刻まれる地味だけれど確実性のあるサイン。
そこに痛みが存在しないだけマシだとしても、あの感触(たとえば殻の入った玉子焼きや砂抜きに失敗したアサリなど、知らずに口にしたときのあの食感)に虫唾が走るほどの嫌悪感を覚えてしまう私にとっては、もはや立派な「悪夢」なわけで……。
目覚めた私は、その厭わしい感触を振り払おうと上下の歯茎に沿ってすぐさま舌を走らせる。――大丈夫、ちゃんとある。ぐらぐらしている歯もない。
そうやって、まずは迅速に確認行動を終えること。そして瞼の向こうをチラチラ浮遊している夢の残像から、ベリリと意識を引き剥がす。
しかし、それでも私の中のどこかには微かな怯えが残り、それは何度味わおうと慣れることのできない《知らぬ間に口の中が滅んでいくような静かなる恐怖》と結びついていて、形を変えては忘れた頃にやって来る。
おそらくは、ここ数年。なぜか頻繁に現れるようになったこれらの夢を、こんなふうに意識するようになったのはごく最近のこと。今の私はまだ、無意識から繰り返し送り込まれてくるこのメッセージを正確に受け取れきれずにいる。
だから、なのだろうか?
さっきもまた『歯の夢』をみていた。
ころんと靴下ごしに察知した、足元に転がっている小さな白い物体。拾い上げるとそれは誰かの歯で、私は(いかにも夢の中っぽく)鈍く、それが自分の一部を成していたはずのものであることになかなか気づかない。「ん?」とスローモーションのように時間が流れ、ひらりと理解が舞い降りたときにはもう(それは唐突に訪れる)、唖然としたまま打ちのめされている。
だけど本当は、最初からわかっていたのかもしれない。
そこにはまるで用意されていたかのような「諦め」があって、私は手の平の上に鎮座する真っ白とはいえない物体をまじまじと見つめながら、抗うことなくその事実を受け入れている――……。
うっすらとした尿意に呼び覚まされ、いつの間にか自分が眠りの狭間を浅く漂っていたことを知ったのは数分前の話。そして今、トイレの中で早朝の冷えた空気に尻をさらしながら私は、いつものように丹念に舌先で歯の裏側をなぞりつつ、ひとり記憶を巻き戻している。
蘇るのは数時間前の私たち。「やっぱりこの夢は、恒士朗へのモヤモヤとした気持ちが関係しているのだろうか?」なんて考え、どこかに吹き飛ばしてしまいたいのに。