オランダには沢山の風車が造られた村がある。川の水面よりも陸地が低いために水を組み上げるために作られた。オランダに飛行機で向かうと海に沢山の回っている風車が見られたが、こちらはよく見る風力発電機だろう。哀愁や郷愁が深いのは十九世紀に建てられたこのキンデルダイク村の風車だろう。愛着があるのは人だけではない。
キンデルダイクの村に置かれている風車の傍には川がある。そこに白鳥が佇んでいる。ある白鳥はこの風車のなかでも一番古い風車の傍に毎日、挨拶に行く。
「おじいさん、こんにちは。今日もいい天気ですね」
すると最長老の風車は照れたのか少し羽を傾けて挨拶する。
「今日も沢山観光客が来ますよ。おじいさんは休みなしですね」
風に合わせるのだから、毎時間働き疲れということではない、ただ白鳥は自分たちが水面で餌を探さずに休憩している時にも、動き続ける風車がいつか倒れはしないかと心配であった。
この日、キンデルダイクを巡るツアーの中には日本からの観光客もいた。塔子もそうだった。自分の勤めていた仕事は定年となり、老後のことを考えるよりもずっと我慢していた旅行を今こそ行くしかないと思い、旦那や息子、娘を説得して、一人でツアーに参加した。塔子は行くなら、このキンデルダイクの風車に行って見たかった。ロイスダールの絵に感動したのか、それともこの村の様子を昔、学校の地理の授業で知ったためか、またはゾラの小説に水車が出て来たのか、一度もきちんと見たことがなかったのを、自分の目が衰えぬうちに見たいと思ったのだった。風車の前の通りには自転車道路が整備されていた。風の通るこの道を自転車で走り抜けたらとても気持ちいいだろうに。塔子はそう思いながら、ツアーの団体と一緒に歩いていた。風車のなかを見ていいということで自由行動の時間になった。沢山の人が風車のなかに入るものだから、自分はあとでいいと塔子は川を見つめていたら、白鳥が一羽、塔子に近寄って来た。
「こんにちは」
「まあ、白鳥がこんなところにもいるのね。鳥は本当に遠いところに来られるのね。あなたは日本に来たことはあるかしら」
「あなたはどうしてここに来たのですか」
「なんて白鳥に言ってもわからないわよね、ごめんね」
「このキンデルダイクはとてもいいところですよ」
塔子と白鳥が互いに話しているのを見ていた風車の大長老は、お互いが一方通行でしか話せていないことがわかり、羽の向きを少し変え、塔子の後から風が流れて来た。
「わっ」
塔子は後ろを向いて、風車を見ては、自分の想像よりも風車が存在感を持っていてとても驚いた。この風車は百年以上動き続けているのだからきっと生きているのだわ。
「おじいさんは沢山の風車のなかでも一番古いんですよ」
白鳥の話は塔子には聞こえなかったが、人懐っこい白鳥を塔子は可愛く感じた。
「ごめんね、野生のあなたにあげていいかわからないけれど、そもそも私、貧乏旅行なものだから、食べ物なんて買って持ち歩いていないの」
塔子は風車のなかにいるよりもこの白鳥をしばらく見ていたくなった。なぜなら、白鳥はなかなか彼女から離れなかったから。
「私はおじいさんがいつか倒れやしないと心配なんです。毎度、沢山の観光客がお爺さんの体の中に入って出ていくけれど、おじいさんが気持ち悪くならないかも心配なんです」
沢山の人が入って、痒さを感じる風車だったが、白鳥の言葉はよく聞こえていて、嬉しかったので、できる限り羽を傾けて、塔子と白鳥に風を流して行った。
「わっ、また風が来たわ。きっとあなたのことを風車さんが好きなのね。私はあなたがそばにいるからその恩恵を受けているだけね、有難う。とても面白い体験だわ」
塔子は白鳥にお礼を伝えた。
「おじいさんは立派です。白鳥の私達だって、時々疲れて長く眠りもするけれど、おじいさんは眠り知らずなのですから、もう僕の白鳥のお父さんもお母さんもいなくなりましたけれど、おじいさんは今も生きて働いている。だから私は見守っているのです」
風車のなかで説明をしていたのか、他の観光客がやっと出てきた。塔子は英語で説明を聞いても話はあまりわからないし、時間も押していたので、大きな風車のなかには入らなかった。一人だけ入らない塔子の姿を白鳥は嬉しくて、しばらく塔子と並べるうちは一緒に移動した。あの日本人は白鳥と仲良くできるのかと他の外国の観光客は噂をしていたが、塔子は白鳥が並んでついてくるものだから、お別れの挨拶で手を振った。
このツアーを終えては、塔子はまだまだ訪れていない場所が沢山あって、それを回るには人間の生きていける時間は短すぎることは理解していたが、熱望していた場所に行けたことはここまで満ち溢れた気分になるのかと飛行機の座席に座っては考えるのだった。もしかすると、あの白鳥が旅を素敵な時間に変わらせてくれたのかも、帰ったら子供たちに旅の土産話に聞かせようと思うのだった。