140字の超短編、ツイノベを150作収録した文庫本です。
『夜が灯る五分前』は、眠るか眠らないかまどろんでいる時間のことを指しています。そのぼんやりとした時間には、「明日の仕事は早く終わるのかな」とか「今日は楽しかったな」とか色々なことを考えます。
眠りにつく五分前、そういった喜怒哀楽や未来のこと、過去のこと。
様々な感情が溢れて、どうしようもなく、どうしようもないときがきっとあると思います。そんなどうしようもない五分前に、沢山の物語を読んでほしい。物語の中から一番近い感情を見つけてほしい。夜が灯る五分前、あなたにとって生きたいと思えるような時間になるように。そんな思いを込めた作品です。
世界全体の幸福許容量は決まっているらしい。命が生まれたり、亡くなったり、幸せになったり、不幸になったり、泣いたり、笑ったり。恋をしたり、失ったり。そうやって世界はバランスを取っている。私は今、不幸だ。誰が幸せになったのだろう。そっと、まだ知らぬ誰かの幸せを願った/幸福許容量
「お掛けになった心は、現在、使われておりません。相手の心を御確認の上、もう一度、心を御繋ぎ下さい。繰り返します。お掛けになった心は、現在、使われておりません。相手の心を御確認の上、もう一度、心を御繋ぎ下さい。繰り返します。お掛けになった心は、現在――」/無線通心
ポイントカードの幸福量が一万ハッピーも貯まった。小さな幸せを見つけては貯め込んで、やっとここまで増やすことができた。この幸福ポイントを使って男の子に告白してみる。「好きです」と言うと、男の子はカードを見て哀しそうに呟いた。「ごめんね。有効期限が切れてるみたいだ」/ハッピーポイント
私は人々の思い出をこんぺいとうに変えて、それを食べて生きています。赤や黄色。沢山の色のこんぺいとうが詰め込まれた瓶は、光に照らされて虹色の影を映し出します。口に含むと、味と共に思い出が頭に流れ込みます。私は、人々の思い出を食べています。私には思い出が作れないので/記憶の粒
とある水族館では、人魚が水槽の中を泳いでいます。「私も昔は人間だったのよ。声を出して泣かないように。好きな人の所へ行けないように。私は人魚になろうと思ったの」。そう言って笑う人魚は、今日も水槽の中で歌います。朝も夜も。明日も。百年後も。一人でずっと、一人でそっと/アクアリウムの人魚
昔々、一羽のウサギが月まで跳ぼうと、長い耳をパタパタ揺らしていました。さみしいウサギ、月まで跳んで、誰かに見ていて欲しいから。ある満月の夜、ウサギはついに月まで跳びました。力尽きたウサギは命を失いましたが、さみしくはありません。今もほら、みんなが君を見ているから/月ウサギ
ひらがな軍とカタカナ軍が喧嘩をしていました。ひらがな軍は「『め』と『ぬ』の方がややこしい」と言い、カタカナ軍は「『シ』と『ツ』の方がややこしい」と張り合いました。そこに登場した漢字軍。「いいや。『猫』と『描』の方がややこしい」と対抗します。今日の勝負、引き分け/文字戦争
教員免許を取得して初めて、中学三年生のクラス担任となる。理想とは違い、問題児だらけの教室に僕は辟易していた。卒業式の日、生徒の代表から別れの言葉を述べられた。「これで『問題児ばかりのクラスをどうまとめるか』の実習は終わりです。また来年度からもがんばってください」/卒業試験
妻は半年前から病院に入院していた。いわゆる植物状態というやつだ。「お母さんは今、枯れ木なんだよ」「かれき?」それ以来、娘は「かれきにはなをーさかせましょー」とやたら繰り返す。「かれきにはなをーさかせましょー」 娘の声が、妻に再び花を咲かす養分となる事を、私は祈った/花の祈り
古書店の裏通りにいる、金魚屋さんが好きだった。ライラックの香り。漁り火の光。セルリアンブルーの髪飾り。淡い初恋だったのかもしれない。十年経った今でも、何度か裏通りを訪れる。びいどろ風鈴と絵羽模様の猫だけが笑っていた。金魚屋さん。あなたはどこかで元気にしていますか/金魚屋
彼女と食事に行くと、その食べる早さにいつも驚かされた。待たされるのが嫌いなのか「早く食べなよ」と催促してくる。でもたまに、僕が待つことがある。「食べ終わったら帰るよ」と言うと、彼女は小さめのチーズケーキを、何口も、何口もかけて、数分、数分と時間をかけて食べていた/チーズケーキ
「『メ〜』これが羊の鳴き声です」「はい」「『メェ〜』これがヤギの鳴き声です」「はい」「わかりましたか?」「なんとなく」「では、次は上級問題です。『ンメェ〜』これはなんの声でしょうか?」「……ヤギ、ですか?」「いいえ。これは美味しい物を食べたおばあちゃんの声です」/鳴き声クイズ
祖母の家にお邪魔した。何年ぶりだろうか。私の好きな優しい笑顔。私の好きなお菓子。私の好きなテレビ番組。私の好きなお味噌汁の味。 こんなにも私の好みを覚えてくれているのに。「しかし、初めて会った子なのに懐かしい感じがするねぇ」なんて。どうして私のこと忘れちゃったの/おばあちゃん
「どっかの国ではさ、男女で生まれた双子は前世で結ばれなかった恋人同士で、『来世は必ず一緒になりましょう』という祈りを込めて、双子で生まれてくるんだって。だから擬似的な結婚式を挙げるんだってさ」と双子の妹が笑う。「いつか私達もその国に行ってみたいね」と、泣いていた/エウロパの双子
「白詰草って、すごく綺麗な花だと思ったの。だって白が詰まってる草だよ? すごくまっしろで雪みたいなんだろうなって。そしたらクローバーのことだって知って、なんだかがっかりしちゃった。え、落花生? 落花生くらいは知ってるよ。落ちる、花、生きる。言葉は綺麗なのになぁ」/落花生
楽器店に行くと、猫ギターなるものが売られていた。なんでも、弦が猫のヒゲで作られているのだそうだ。試しに弾いてみると、にゃにゃーん! と音色が響いた。野外ライブにオススメだと言うので理由を聞くと、この音色を聴くと猫が寄ってくるらしい。なるほど、可愛いお客さん達だ/ネコライブ
「もうすぐ夏が終わりを告げます」とニュースが流れる。昔、彼女が「憂鬱に名前を付けて、それを水風船に書いて割りたいね」と言っていたことを思い出す。来年になったら。再来年になったら。そう言っている内に夏が終わってしまう。「深刻な寒波が続き、日本の四季は春秋冬にーー」/夏の日
「本日は左利きの日です。日付が変わるまで、全ての道具や機械は左利き用になります」とアナウンスが流れる。ハサミ。改札口。受話器。蛍光ペン。大勢の人々が戸惑う。「いつもと逆だと大変だね」と、右側にいる彼氏が困った顔で笑う。少しは左利きの苦労もわかったかと、私も笑った/左利きの日
飴細工で作られた金魚が、時間を経てどんどろりんと溶けていきます。ポタリ、ポタリと流れる赤や橙の色が混ざり合います。私は飴を掬って、口の中に含みます。まるで金魚が肺で泳いでいるかのように、心臓はズクズクと高鳴ります。涙が溢れてきます。飴は少しだけ、苦い味がしました/飴細工
彼女が僕に「だす!」と言ってくる。「なんなの?」と聞くと「息抜き」とだけ答える。その後も彼女は「だす!」と言いながら笑顔を向けてくる。そんなことで息抜きになるのかなと思って、しばらく考え込んでいると息抜きの意味に気付く。「だす!」と言われる度に顔が真っ赤になった/息抜き
入院している妻の代わりに保育園まで息子を迎えに行く。その帰り道、お義母さんからメールが届く。「娘が母からハハになりました」と。最初はなにかの打ち間違いかなと思い、しばらく考え込む。ふと、その意味に気づいて歓喜の声をあげる。息子を肩車して、僕は急いで病院に向かった/母からハハへ
私の体には秘密があった。小説を書き過ぎると指がタコの足に変わるし、深夜まで小説を書いてると目元に熊がぶら下がる。この体質を小説のネタにしてしまおう。これで大賞は間違いないゲロ。ゲロゲロ。鏡を見ると体がカエルになっていた。あぁ。どうやら私、井の中の蛙だったみたいね/けものブレンド
魔女によっていくつかの色が奪われた異国の地で、彼女は機織り機で色を紡いでいます。ある日、彼女から手紙が届きました。「大丈夫です。大丈夫です。青と橙と、ほんのすこしの肌色があるので安心です。だから心配しないでください」。その国に色が戻るまで、彼女は色を紡ぎます/色売りの少女