あらすじ
歌によって命あるものを癒す歌鳥の民の少女・ハフリは、内気な性格と音痴ゆえの劣等感に苛まれ日々を過ごしていた。そんなハフリの前に現れたのは、翼持つ金色の獣を従えた少年・ソラト。導かれるように彼の手を取り、ハフリは草原の彼方へと旅立つが……。
頑なな少年少女の、青春ファンタジー長編
※残部僅少
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本文抜粋
セトの天幕が見えてきたころ、退出するひとりの影があった。ソラトだ。ハフリは歩を早め、彼のもとへと駆け寄った。手からはみ出したぼろぼろの鎖がこすれあい、しゃりしゃりと音を立てる。
緊張のせいか少し走っただけで息が乱れたが、気にならなかった。早く声をかけたいと、思った。
「なにか、見つかりましたか」
「これって物はなかったけど、地図をもらえた」
丸めた羊皮紙を持った左手を掲げる。そして、右手を持ち上げて——
「あとは方位磁針も。これだけでも収穫だ」
金色の鎖が、しゃらんと涼やかに鳴った。
錆など見受けられない、華奢な鎖に繋がれた方位磁針。磁石を覆う硝子は傷一つなく澄み渡り、森の木漏れ日を弾いてきらきらと光る。
あまりにまぶしくて、光が目に、心に、突き刺さる。
「ハフリ?」
ソラトの声に弾かれて、咄嗟に手を背中に回していた。すると、さっきまでしっかり握りしめていたはずの錆びた方位磁針が、指からするりと抜け落ちる。
あっと思った時にはもう遅い。鈍い音を立てて地面に落ちたそれは、曇った傷だらけの硝子をハフリに向けて、嘲笑うかのように木漏れ日を反射していた。
声にならない声がもれるだけで、逃げ出してしまいたいのに、指先ひとつ動かない。
ソラトが落ちたそれを拾い上げるも、ハフリは目をかたく閉ざしうつむいた。何も見たくなかった。なのに、すべての感覚が恐ろしく冴え渡る。ソラトが動く気配がする。ハフリに一歩、近づく。そして——
しゃらん、と。光のような音が耳をくすぐる。
思わず目を開くと、ハフリの胸元——フゥの頭上できらめいていたのは、華奢な鎖に繋がれた金色の方位磁針だった。
言葉を失ったハフリに、ソラトは髪をかきながらむず痒そうな顔をして、
「こんな華奢なもの、俺が持ってると壊しそうだから」
「で、も、これは」
ハフリのたどたどしい言葉に、ソラトの表情が悪戯めいた笑みに変わる。
「もう貰ったもんなんだから俺のもの。どうしようと、俺の勝手」
それとも、と錆びついた方位磁針をハフリの目の前にぶらさげて、
「これ、俺にはあげられない?」
その問いに、その声に、身体が弛緩する。
喉をすっと空気が通る。声が、出る。
「あげ、ます」
小さな声だった。それでも、伝われ伝われと、願う。
「そのために、持ってきたんです」
「よかった」
くまの付いた顔で、まるで疲れなんてどうってことないかのようにソラトが笑う。
本当は疲れていて、ここまで来たのに目的を果たせず、落ち込んでいるはずだ。
そんな彼に、ハフリができることは何もなく、むしろ彼に気遣われている。
「……ごめんなさい、お役に立てなくて」
「ハフリはすぐ、謝るのな」
ふいに、ソラトのまっすぐなまなざしに射抜かれて、心臓がどきりと跳ねる。視界を覆う長い前髪の向こうにある瞳から、目をそらすことができなかった。
ソラトの瞳の輝きは、あの金色の獣の瞳によく似ている。強くしなやかなものの瞳だ。
(わたしとは違う)
そう認めるのはどうしようもなく虚しく、情けない。
けれど、目を逸らそうとは思わなかった。
人の目を見るのも、見つめられるのも怖い。けれどもソラトに対しては、不思議とおそれを感じない。胸の鼓動は高まるけれど、心地よさを感じる自分がいる。
けれど彼とはここでお別れだ。それが、どうしようもなくさびしい。
(わたしは森から出られない。だから、しかたない)
諦めを寂しさにかぶせる。そうすれば楽だということを、ハフリは知っていた。自分はここにいるしかない。歌えないままでいるしかない。誰かと目を合わすことも憚りながら生きていくしかない。すべて、仕方のないことだと。
「ハフリ」
名前を呼ばれる。
風が吹く。おさげが宙に揺れる。貫頭衣の裾がはためき、首にかけられた鎖がしゃらんと音を立てた。木々がざわめきひかりが踊る。フゥが甲高く鳴いた。さえずりのこだまが、風とともに舞いあがる。
空に導かれるような感覚のなか、ソラトの声が、
「ハフリ、俺の村に来るか?」
ハフリの諦めを貫いた。