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雨降る日々に —狼牙の響—

  • C-05 (小説|ファンタジー・幻想文学)→配置図(eventmesh)
  • あめふるひびに
  • 風城国子智
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 52ページ
  • 200円
  • 2015/05/05(火)発行
  • 狼牙の響。自称和風異世界ファンタジー現代編連作短編集。
    情緒ある地方都市にひっそりと佇む喫茶店にあるのは、美味しいお菓子と飲み物、そして手芸を得意とする古風な少女。

    目次

    • 雨と雪との境
    • 春の嵐
    • 雨より先に
    • 水音を聞きながら
    • 全てに降る
    • 乾いた場所
    • その人を隔てるもの
    • 豆花雨
    • 雪は音を立てて
    • 静かに過ぎる

    オンライン

    試し読み 春の嵐

     ミシンの音に混じる、車のエンジン音に、ほうと一つ息を吐く。
     そのミシンで縫っていた袋物の一辺が縫い終わるより先に、小さな影が大きな足音と共に、蘭が居る手芸喫茶『咲良』の二階に現れた。
    「こう」
     『谷』の名で、その影の名を呼ぶ。
    「さち!」
     蘭の言葉を普段通りの不機嫌で訂正すると、幸という名の、まだ小学校にも通えない年齢の少女は、普段通り、虫籠窓の近くにある椅子に陣取った。そして格子を小さな手で掴み、じっと外を見る。本当に、相変わらずだこと。新学期を前にして、『咲良』の主人、寧が注文を大量に取っている袋物の一つを仕上げながら、蘭はもう一度、ゆっくりと息を吐いた。
     幸は、喫茶『咲良』があるこの街から車で一時間ほどの場所にある山間の農場『咲良』に、幸の伯母の一人である累と共に暮らしている少女。幸はしばしば、農場の作物を喫茶店に運びそして農場で必要な物を買い出す累の車に同乗してこの場所にやってくる。その理由を、蘭は幸の伯母である寧と累の会話を盗み聞くことで知っていた。
    「この格子、外れないの?」
     これで何度目かの、いつもと同じ質問が、幸から飛んでくる。その質問には答えず、蘭はミシンから離れ、タオル地を両手に山ほど抱えて幸の向かい側の椅子に座った。新学期の準備には、手縫いの雑巾も含まれている。雑巾もミシンで縫えれば楽なのに、手縫いの方が丈夫だからという理由で、学校側は手縫いの雑巾を指定するらしい。どっちもそんなに変わらないと思うけどなぁ。そう思いながら、蘭はせっせと手を動かした。幸が居るときにミシンを使わないのは、幸がミシンの音を嫌うから。人が嫌がることは、必要が無ければしない。それが、蘭の主義。入学や入園児に揃えるよう言われるとかで、注文数は雑巾よりも規定の袋物の方が多いから、ミシンが使えないのは正直困るのだが、仕方が無い。折り畳んで厚くなったタオル地に針を一針一針素早く丁寧に刺しながら、蘭は幸の、細い身体とその身体に似合わぬ大きな頭をじっと見詰めた。
    「今日は、見えない」
     不意に、その言葉と共に、幸が虫籠窓から離れる。しかし蘭の側に寄っても来ない。ただ独り、作業机の横にある座り心地の悪い丸椅子に座って静かにしているだけ。どうしたのだろう? 蘭は一瞬だけ手を止めて幸と、幸がポケットから取り出して優しく触れるくたくたになった桜色のキーホルダーらしきものを見、しかしすぐに雑巾を縫うことに戻った。質問されることも、幸は嫌がるのだ。
    「……どんな人だった? 蘭の、お母さん」
     その蘭の耳に、普段とは違う響きを含んだ幸の声が降ってくる。蘭は手を止めて幸を見ると、その、蘭を見詰める大きな灰色の瞳に向かって答えた。
    「知らない。……私が産まれてすぐに亡くなったから」
     飾る気の無い蘭の回答に、幸が俯く。縫い掛けの雑巾を脇の作業机に置くと、蘭は一足で幸の側に立ち、その滑らかな髪をぽんぽんと叩いた。
    「まあ、千年以上前の話だし」
    「子供扱いしないで!」
     予想通りの金切り声が、蘭の耳を震わせる。本当に、子供らしい子供だこと。乳兄弟の家で育った所為か、子供の頃は何も言えなかった蘭自身のことを思い出し、蘭は微笑みを浮かべたまま、一階から二階へと飲み物や食べ物を運ぶ手動エレベーターの方へと向かった。
     幸がここに来る理由は、幸を累の農場に置き去りにした、碧という名の、幸自身の母親を探す為。母がこの近くに居ることについては、幸はほぼ確証に近い何かを持っているようだ。エレベーターを動かしながら寧と累の会話を思い出し、蘭は幸を横目で見てから溜息をついた。遠くに行ってしまっているかもしれない、自分を捨てた母を探すなんて、バカげている。しかしその言葉を幸に言わないのは、幸が子供であるから。そして、蘭自身も、幼い頃、妊娠した母をやむなく『谷』に置いて出て行った父のことを慕っていた時期が、確かにあったから。だから。
    「はい」
     蘭が手元のタブレット端末で依頼し、一階に居る寧がエレベーターに乗せたコーヒー色の飲み物をそっと幸の前に置く。
    「子供はコーヒーを飲んじゃダメだって寧伯母さんも累伯母さんも言って」
    「子供扱いされたくないんじゃなかったの?」
     目の前の飲み物に目を見開いた幸に、蘭は軽く笑った。勿論、中身はコーヒーではなく、ほうじ茶に牛乳を入れた『ほうじ茶ラテ』。子供が飲んでも問題無い一品だ。
     その蘭をむくれた顔でじっと見詰め、幸がカップに手を伸ばす。
     外も、風が強いようだ。虫籠窓の方に耳を澄ませてから、蘭は幸を少しだけ見詰め、しかしすぐに雑巾縫いの作業に戻った。

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