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現代語訳 難太平記 (附論 今川家の赤鳥の謎を解く)

  • き-06 (評論・研究|文化研究)
  • げんだいごやく なんたいへいき ふろん いまがわけのあかとりのなぞをとく
  • 今川了俊
  • 書籍|B6
  • 163ページ
  • 2024/12/25(水)発行
  • 今川了俊の『難太平記』の現代語訳です。今川了俊は足利一門の武将で、南北朝時代に九州探題として活躍しましたが、足利義満に対する反乱に連座して失脚。失意のうちに晩年に綴ったのが『難太平記』です。応永九年(1402)の成立。文字を通して、600年以上前に生きていた人物の生(なま)の声が聞けるのが魅力です。内容を理解する時の助けになるように、関連系図、背景の解説、史跡写真も入れてあります。

     現代語訳のあとに、「今川家の赤鳥の謎を解く」「群書類従本『難太平記』の伝来について」という二つの小論を付けてあります。

     『難太平記』には、今川家が笠印として使った「赤鳥(あかとり)」というものが出てきます。今川了俊は『難太平記』の中で、この赤鳥のことを「(今川家の)武具の随一」と呼んでいます。また、戦国時代には今川義元も赤鳥を描いた旗を馬印として使っていました。しかし、赤鳥が何を表しているのかは江戸時代には全くわからなくなっていました。そのため、赤鳥の実体が何であるかについて江戸時代から議論が行われていて、いくつかの説が出されてきました。しかし、どの説が正しいのかは、今に至るまで明確な結論が出ていない状態でした。

     「今川家の赤鳥の謎を解く」では、江戸時代の文書群で赤鳥に関する議論のあとを追い、さらに考古学的な資料を援用することで、赤鳥の実体について初めて明確な結論を出すことに成功しています。240年以上前から赤鳥についての議論が続いていましたが、そのような議論に終止符を打つものになっています。

     二つめの小論、「群書類従本『難太平記』の伝来について」は、群書類従に収録されている難太平記についての考察です。群書類従に収録されている難太平記は、末尾に、「瀬名貞如本」で比校したと書かれています。この瀬名貞如が何者なのかは、意外なことに、いまだに信頼できる説が無い状態でした。そこで調べてみたところ、田沼時代や寛政の改革の時代に、今川了俊の嫡流の子孫である瀬名貞雄(せな さだお)・貞如(さだゆき)父子が、塙保己一の盟友・大田南畝(おおた なんぽ)、塙保己一の門下の蔵書狂・屋代弘賢(やしろ ひろかた)、そして、群書類従の編纂者・塙保己一(はなわ ほきいち)と、意外に深いつきあいをしていたことがわかりました。この小論では、瀬名貞如本の特徴からこの伝本の伝来過程を推測するとともに、群書類従にそれが収録されるに至った背景を解き明かしています。群書類従本の難太平記の末尾に名前がある「瀬名貞如」が何者なのかを、初めて明確にした小論になっています。

    (本書は、BOOTH での通信販売もおこなっています。)
     
     


     


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