こちらのアイテムは2026/8/2(日)開催・文学フリマ香川3にて入手できます。
くわしくは文学フリマ香川3公式Webサイトをご覧ください。(入場無料!)

布教しない仏教マガジン『 i 』#ぼっちと孤独

  • う-08 (ノンフィクション|雑誌)
  • ふきょうしないぶっきょうまがじんあいぼっちとこどく
  • 西蓮寺編集部
  • 書籍|B5
  • 2023年5月下旬、長野県で起きた立てこもり事件に関する報道が連日続いていた。この事件を起こした男の供述の中にあった「ぼっち」という言葉が、なぜだか耳にこびりついて離れなかった。

    事件が起きたのは、5月25日の夕方ごろ。散歩中の女性二人が突如として刃物で命を奪われ、駆けつけた警察官二人までもが犠牲となった。犯人は「二人が話しながら散歩しているとき、自分のことを『独りぼっち』とバカにしていると思った」と供述している。また、男の母親は「大学時代に『独りぼっち』と言われていじめられ、そのことばに過剰に反応するところがあった」と話しており、かつて男は自身の勤務先でも、店を手伝っていた学生らが雑談で「東京では、ぼっちだね」と話すのを聞いて、「俺がぼっちとばかにした」と激高するなどのトラブルを起こしていたことが分かっている。

    彼は、いかにして孤立してしまったのだろうか。

    だが興味深いことに彼の生活は、社会から疎外されたものではなかった。彼は両親とともに暮らしており、仕事にも就いていた。人との接触が極端に断たれていたわけではなかったのだ。それにもかかわらず、「ぼっち」という一言は、彼の内に潜む深い痛みを激しくえぐり出したのだ。

    彼の耳には「ぼっち」という言葉が、どう聞こえたのだろうか。

    わたしにも思い当たる節がないわけではない。確かにここにいるはずなのに、自分だけが見えない存在にされている感覚。誰かの言葉や視線から受ける無言の拒絶感。外見上は孤立していないにもかかわらず、その存在が承認されていない虚しさが「ぼっち」という言葉と結びつく。家族がいても、同僚やクラスメイトがいても、ぼっちという言葉に胸を締め付けられることは想像に難くない。

    では、「一人ぼっちではない」「わたしには◯◯がいる」という安心感は、どんな条件が揃ったときに成り立つのだろうか。言い換えれば、私たちはどうすれば「孤独ではない」と実感できるのか。

    2018年より、政府は「孤独・孤立対策担当大臣」を設置し、「望まない孤独」の解消を急務としている。孤独を、解決すべき問題とみなしている。

    しかしその一方で、仏教や哲学という営みは、必ずしも孤独を悲観なものとして扱わない。人間はそもそも孤独な存在であると示し、自己の当事者性を端的に示す事実認識であると説く。もし孤独を問題として捉えるならば、まずはその言葉が持つ多義性を解きほぐし、なぜ問題と感じるのかを明らかにする必要があるだろう。

    本号では、「ひとりであること」の意味を整理しながら、孤独をどう受け止めるかを探っていく。本号が孤独と向き合うための足場になればと思っている。

ログインしませんか?

「気になる!」ボタンをクリックすると気になる出店者を記録できます。
「気になる!」ボタンを使えるようにするにはログインしてください。