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【新刊】つわものの涙 延久蝦夷合戦〜源義家〜

  • イ-07 (小説|イーハトーブ)→配置図(eventmesh)
  • つわもののなみだ えんきゅうえぞかっせん みなもとのよしいえ
  • ひなたまり
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 268ページ
  • 800円
  • 2019/06/09(日)発行
  • 前九年合戦から二年後。源義家は関白・藤原頼通に凱旋報告のため宇治を訪れた。一方、義家の本拠地・河内では、安倍貞任の子・千世がひっそりと暮らしていた。二人の再会が、ゆっくりと運命の歯車を動かしていく。 謎に包まれた延久蝦夷合戦を描く、愛と激動の歴史ファンタジー長編。

    1. 宇治――大江匡房――
     都から山をいくつも隔てた南の方角に、宇治の地は存在していた。平かな青い空に遮る雲はなく、さんさんと日の光が照りつけている。  四月になると宇治の日差しは一気に強さを増し、昼間は真夏を思わせるほどの暑さである。山の木々は勢いよく葉を伸ばし、日の光を浴びて若緑色に輝いている。山に点在する八重桜や躑躅の花々が、今は盛りと咲き誇る。琵琶湖から流れ出す宇治川は、宇治の山々を貫き雄大な流れをたたえている。宇治川には大橋が架けられ、川べりには市が立ち、旅人や商人で賑わっている。宇治橋を渡る人々の顔はみな明るい。初夏は、宇治で最も美しく、心弾む季節なのだ。
     宇治の美しい風景を都の貴族たちは愛おしみ、いたるところに別業・山荘が建てられていた。宇治橋のすぐそばにある関白・藤原頼通の別業・宇治殿もそのひとつであった。宇治殿は、もとは頼通の先代・藤原道長の別業であったが、頼通が受け継ぎ寺院へと改修していた。
     朱色に塗られた阿弥陀堂は広大な池の中に建てられ、さながら極楽の宝池に浮かぶ宮殿のようなたたずまいを見せている。阿弥陀堂の大棟には金色の鳳凰像が燦然と輝いている。大池を挟んだ対屋の御簾越しにも、阿弥陀堂の煌びやかさは伝わるほどだ。大池の畔には藤がみずみずしく咲き乱れ、若く爽やかな香りを漂わせていた。
    (さすがは栄耀栄華を極める関白どのの別業だ。この国の歴史上、これほど力のあった人物はあっただろうか)
     大江匡房はパタパタと扇であおぎ、深いため息をついた。昼なお暗い対屋の中は涼やかな風が吹き渡るのに、暑がりの匡房には少しも慰めにならなかった。
    「道を楽って扇ぐのは鳳凰だけれども 学に疲れて増えるのはどぶがいたちばかり……か」
     曾祖父・大江匡衡の詩を口ずさみ、匡房は御簾越しに大池をぼんやりと見つめた。
     大江家は代々学者の家系であった。匡房もまた物心つかぬうちから読書を課され、八歳の時にはすでに「史記」「漢書」「後漢書」の三史に通じていた。十一歳のときに初めて詩作したときは神童と謳われた。かの菅原道真が最初に詩作した年齢と同じだったからだ。この宇治殿のあるじ、関白・藤原頼通をして「天に享けた禀質、成長の暁は人にこえて大位に到るであろう」と絶賛せしめた。
     十六歳の頃には省試(詩の実作)に合格し、文章得業生となった。文章得業生は、二十名選ばれる文章生の中でも、上位二名だけが選ばれる名誉あるものだ。奨学金として学問料が朝廷から給付される。
     さらに十八歳で、国家最高の試験である方略試――政治・経済・文化一般にわたる広範な知識を試される論文試験――を受け、みごと及第した。菅原道真すら、及第したのは二十六歳の時であった。俺は偉大なる道真公を超えたと、匡房は己が誇らしかった。
     思えばあれが自分の絶頂期だった。二十四歳となったいまでも、二十歳の時に除された従五位下・式部少丞のまま昇進は止まっている。
     たしかに俺は道真公を超えたはずだった。俺の才は誰もが認めている。幼い頃から神童ぶりを称えられ、将来を嘱望されながら、しかし現実は一介の官吏に過ぎない。
     今の世は、摂関家に生まれなければ、どれほど才があっても出世は望めないのだ。大江一族の俺がどんなに学問に励んでも、決して三位以上にはなれない。高位の貴族の婿になれば道も開けようが、求愛していた姫たちにはことごとく振られ、妻はまだない。いまの俺は式部省の下級官吏としてほそぼそと勤めを果たし、わずかな金品で願文の製作を依頼される身の上なのだ。このまま俺の才は、ただ無為に食い散らかされていくのだろう……。
     匡房はプルプルと頭を横に振った。いけない、こんな後ろ向きな考えでは学問の手が止まってしまう。学問は、一日休むだけで多大なる遅れが生じるのだ。意に染まぬこの宇治行きが、自分の心を暗くしているだけなのだ。
    (ああ、なんでこの俺が、わざわざ宇治くんだりまで来なければならないのか。早く都に戻り、書物を飽きるほど読みたい!)
     匡房は扇をパタンと閉じ、舌打ちをした。この宇治行きは、そもそも藤原明衡に無理矢理連れられてのことだった。
    「宇治におわす関白どのの元に、源義家が挨拶に来るらしい。匡房どのも義家の戦話を聞きに行こうではないか」
     藤原明衡は式部少輔であり当代屈指の学才で、匡房の上司であり祖父と子ほどの年の差がある。匡房が否と言えるはずがなかった。
     永承六年(一〇五一年)から十二年もの間、北の陸奥国では長い戦が繰り広げられていた。陸奥国奥六郡を治める大豪族・安倍頼時が国府に戦を仕掛けたという。力をつけた地方豪族が国府に反逆するのはよくあることだった。頼時は戦の半ばで戦死したが、子の貞任や宗任が戦を続け、二年前の康平五年(一〇六二年)にようやく集結した。陸奥守源頼義・義家親子はみごと安倍一族を誅し、この三月に陸奥より安倍一族の降人を都に引き連れ凱旋したらしい。
     らしい、というのは、匡房は戦に全く興味がなかったからだ。日々の学問や試験でそれどころではなかったし、都は内裏や摂関家邸宅の炎上続きで大騒ぎだった。
     しかし藤原明衡は、かねてより陸奥の大戦に興味を示していた。陸奥の国府が上申した国解(国府から中央に提出された報告書)の文から抄録し、都の多くの人々が語る話を拾い集めて書物にするのだという。陸奥の戦を平定した源義家の宇治凱旋に、明衡が食いついてしまった。七十をとうに過ぎているのに好奇心旺盛な明衡を微笑ましく思っていたが、今となっては少し鬱陶しさを感じる匡房であった。
     戦の話など俺はどうでもいい。源義家は俺より二歳年上なだけなのに、都では猛将と名高い。俺と同じ年頃で、同じ受領階級出身だというのに、源義家は今をときめいている。俺より輝いている男など見たくはないのだ。そんな男の話など聞くと思うだけで虫唾が走る。
     俺は俺なりに戦のような日々を乗り越えてきたというのに、源義家と違い少しも世間からは認められない。いっそ隠棲して、学問のみ励んでいこうか。菅原道真公だって、右大臣にまでのぼりつめたはいいけれど、結局藤原一門に追い落とされてしまったもの。
     この世の栄耀栄華は、藤原摂関家だけが握っている。この宇治殿がそれをまざまざと見せつけているではないか!
     そんな鬱屈とした思いを抱えながら、匡房は頼通の寝殿へと重い足取りで向かった。居並ぶ貴族たちは、みな義家の戦話に興味津々といった表情を浮かべている。匡房はむっつりとした表情で、隅の円座に腰を下ろした。
    (ふん、源義家というのは、どんな男か。戦好きの河内源氏だ、さぞかしむさ苦しく汗臭い男なのだろう)
    「出羽守・源義家どののお成りにございます」
     可愛らしい童の声に、貴族たちがいっせいに御簾の向こうを見つめた。御簾が巻き上げられ、あらわれた義家の姿に、匡房は息をのんだ。
     二藍の直衣に身を包んだ義家の姿は、歴戦の武人とも思えぬ雅やかなものであった。陸奥からの長旅で疲れたためか、少しやつれているのもかえって優美に見える。腰に佩いた太刀はきらびやかで、それが義家が武人であることを唯一思い出させるものだ。憂いがちにふせられた瞳は、しかし黒曜石のような輝きをたたえている。引き連れた郎党たちの無骨な様子が、よけいに義家の若さと美しさを際立たせていた。
     義家がゆっくりと匡房の前を通り過ぎ、頼通の前に腰を下ろした。
    「出羽守・源義家にございます。ただいま陸奥より帰洛いたしました」
     そう大きくはなく、しかしはっきりとした声で、義家が挨拶を述べた。頼通は義家に向かい、満足げに頷いた。




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