森の王は街に住む
「おい瀬奈、行くぞ」
声をかけられ、瀬奈は背負ったかごを支え直し先を歩き始めた背を追う。向こうの方が自身より頭ひとつ半ほど身長が飛びぬけているのでその分、足も長い。歩幅が違いすぎるので横並びに歩くことは難しい。それを不満に思うことはあまりなかった。
「お、さっそく珍しいのがあったぞ」
彼は行く先ですぐさま立ち止まり、垂れた枝の若芽を手に取る。その手つきは優しく、芽吹いたばかりで柔らかい新芽を不用意に傷つけない配慮が見受けられた。
そうやって深い森の中を進みながら、彼はあちこちで茂みをかき分け、時には階段を駆け上がるようにして高い木に登り、花畑の土を見る。
瀬名はすぐ横道にそれる彼の姿を見るのが好きだった。寄り道のおかげで必ず追いつけるし、何より彼は決して自分を置き去りにはしない。
「瀬奈、こいつを布にくるんでくれ」
振り返っていくつか切り落とした若芽を手渡してくる。
そのうれしそうに紅潮した表情が好きだ。彼は森を、森から与えられる恵みを心底から愛している。人と相対しているときは不愛想で近寄りがたいと思われがちだが、こうしてこの草は、この花はと飛び回っている姿は子供のようだ。
瀬奈はその様子を横目に、やわらかい布に取ったばかりの若芽を包んで丁寧にしまう。まだ枝にはこぼれ落ちそうなほどみずみずしい色彩の若芽がたくさんあったが、彼が森から採取するのはいつもほんのわずかな量。これでは商売に必要な在庫を十分に確保できない。そのせいでしょっちゅう客ともめているが、彼はただ儲けるためだけに森を荒らしはしない。
そういう約束だから、と彼は答えたが、誰とのやり取りかは不明だ。というより、約束の先にいるのは人ではないのだろう。
彼は森の民、エルフだから。
名前は篠笛。あだ名らしい。エルフとしての本名は別にあるが、とにかく長ったらしいのとエルフの森を出て人の街へ定住するにあたって元の名前は捨てたという。長い髪も切ってしまい、エルフ特有の耳がなければ他の人間とそう変わりはしない。
と、思っているのは本人だけで、細くて高くて薄い身体はどこにいても相応に目立つし、黒や茶色の髪や目の色をした住人が多い町の中では自ら発光しているような金髪は夜目にも鮮やかだ。
その外見の優美さに反し、そこをつけ狙ってくる輩には容赦なく商売道具のすりこぎ棒で応戦しているのだが。
「朱里、帰ったぞ」
玄関先の日当りのいい場所で豆の筋を取っていた老婆が軽くうなずく。その脇で、篠笛はブラシでブーツにこびりついた泥を落とす。これをやらないと彼女がうるさい。家主のいうことには逆らってはいけないと、二人で泥とほこりをなるべく落としてから室内へと入った。
長い廊下のあちこちに、篠笛が貯めこんだ在庫が積まれている。ほとんどが、ないと困るがそう貴重なものではない。とにかく量が必要なので積み上げている場合もある。本当に大切なものは、最奥の鍵のかかる部屋の中だ。
彼らの、というか篠笛の仕事は薬剤師だ。採取した植物を組み合わせ、様々な薬効を持つ薬を作り出す。万能の霊薬と呼ばれるような便利なものはないが、熱さましや創傷にきく薬なの町の一般民衆が欲しがるものを作って販売している。
ただ大量に採取して森の生態系を壊すことを避けているので常に販売数は最低限。材料が手に入らず、予約待ちや欠品続きということも多い。
それでも森の民の作る薬は好評で、篠笛たちが森から帰ってきた姿を見た者たちがすでに集まっていつ開店するのだとたずねてくる。
瀬奈は共同井戸で薬草を洗いながら、昼過ぎからならなんとかと答える。薬はそう簡単に作れるものではないが、あとひとつ材料が足りないで置かれていたものなどは出せそうだ。乾燥が必要だったり煮つめたりするものは販売と並行で作りつつ、店頭に並ぶのはもう少し先になるだろう。
瀬奈は洗い終わった薬草が入ったざるを抱え、あれをこうしてと次にやることを順序立ててなるべく手早くできるように頭の中で組み立てる。いくつもの作業を並行で行うことは難しいが、それでも篠笛に任せているといつまでたっても店を開くことができない。彼は作りながら販売することにあまりいい顔をしないのだが、どうせ作るのは篠笛で販売などの接客は瀬奈なのだ、奥にこもって鍋をかき回していてくれと背中を押す。