唐草銀河vol.1
サンドロの工房へ訪れた年若い少年。その並々ならぬ眼力に彼は驚くが……――15世紀フィレンツェが舞台のルネサンス絵巻。(西洋歴史物・長編 A5 52頁 オフセット本)
『素描―触れ合わぬ手―』
「――親方が亡くなられました」
突風にその名が攫われた。まるで灯火を吹き消すように。
誰が。この街フィレンツェの親方だろうか。
疑問もろとも煽られた羊皮紙をあわてて腕で押さえつけ、扉のほうへ目を向けて、画家は思わず息をとめた。訃報を告げた少年の貌はそれほどに印象的だった。
すかさず右手の銀筆を握りなおしたその瞬間、鋼色の眼に射抜かれた。かちあった視線には、常に観察者たるものの自負とそれゆえの反撥と、いくばくかの狎れ
あいが同居していた。画家は手をとめて少年の矜持にひそかに驚嘆し、胸裡でほくそえみ、相手のまなざしに身をゆだねた。同時におのれの本分を忘れるはずも
なく、寸前に写しやめた輪郭を眼の裏にとどめおくように、漆黒の髪に縁取られた面を存分に眺めた。
秀でた額には巻き毛がいかにもうるさげに落ち
かかり、濃い眉のしたに蹲る、澄み切ってなおも暗い双眸の片割れを隠して剣呑だ。引き結んだままの唇は頑なで、高い位置にある耳としっかりした顎もまた黒
髪にとりまかれ、ただ、突き出た頬骨と鼻の先だけが西日を受けて浮いていた。一見するだに、ただの徒弟には思われない。頬にはにきびをつぶした痕が目につ
いて、唇の皮膚も乾いて白くめくれていたが、面立ちにも佇まいにもどことなく品がある。天使には不向きでも、群集のなかに紛れこませ見る側と視線を合わせ
る人物像としては申し分ない。眼に、見たこともないほどの強い力が宿っていた。
いっぽう少年もまた画家の凝視をものともせず、つかつかとその前に進んだ。それからはなしを聞き逃したと察してか、もう一度くりかえす。ただし、こんどは名乗らなかった。
「ヴェロッキオ親方は十月七日、ヴェネツィアにてお亡くなりになりました。俺の師匠ギルランダイオが知らせを受け、こちらのサンドロさんにも伝えるようにと」
「騎馬像は?」
他に問うべきことも、こういうときに述べてしかるべき言葉もあるはずが、口をついていた。
「ああ、傭兵隊長の」
少年はそこで小さく肩をすくめた。ヴェロッキオの孫弟子にあたるとは思えない、じつに不遜な表情に気をひかれ、尖筆をおいて注視する。かたりと音がして、少年は見咎められたと気づいて顔をあげたが、とりつくろうこともなく続けた。
「鋳造前とのことですが、誰があとをひきついだかは知りません」