イントロダクション
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写真家が「写真」という言葉を発した時、実はそこに様々な排他的力学が働いていると思う。即ち、その写真家にとっての純粋な「写真」を成立させるために、不純とされる要素を写真でないとし、排除、または下位に位置付ける。それは例えば写真を説明するために添えられる言葉。あるいは「作品」にはならない家族アルバムの写真、レントゲンや宇宙望遠鏡によって生成された科学写真、SNSを通じて世界中の人々を惹きつけた写真等々。何を周縁に追いやるかは写真家によって異なるとはいえ、「写真」に常時包括的な意味を持たせて用いることは極めて難しいのだ。
ということはつまり、写真家が誰かと写真について語っている間中、常にこの「写真」の定義を巡るディスコミュニケーションが生じているはずなのだ。
こんな摩擦を受け入れながら、写真家である自分たちがやっていることは一体何なのか、そもそものところから素朴に考えたり話したりしてみたい。(西澤諭志)