ことばは、弱い者に、弱いまま生きる力を与えてくれる。
「書いて、何になる?」
その残酷な問いに立ちすくみながら、それでもことばを手放せなかったひとりの書き手が、ゴリラの森で打ちのめされ、ことばの森へと舞い戻ってきた記録。
◆ 本文より(第一章「書けない!」より抜粋)
二〇二五年十一月十九日。返還間近のパンダを一目見ようと人がごった返す上野動物園で、わたしの運命は変わってしまった。
ゴリラの森。
全身からあふれるいのちの躍動感。太古からの身体の記憶を踏みしめるようなナックルウォーク。シルバーバックのハオコだけに許された艶やかで美しい銀色の毛並み。
いのちの神々しさ。むき出しの生の迫力。ひたすら無言のまま、ただ彼らの姿を追うだけの時が流れていった。
あろうことか、わたしはゴリラの絵まで描きはじめた。絵を描き始めた理由は、ハオコを見て胸を貫いた衝撃が、とてもじゃないがことばでは表わせないと思ったからだ。ずっとことばを生業にしていきてきたのに。
手も足も出ない。ことばの限界を容赦なく突きつけられた。けれども、ことばを裏切って絵に逃げ込んだ人間に、絵の世界も容赦はしなかった。
一本線を引くたびに、わたしが見ていたのはゴリラではなく、頭の中で勝手に作り上げたイメージでしかなかったことに気づく。すべてに疑いの目を向けた瞬間、これまで紡いできたことばが、どれも嘘やまぼろしのように思えてくる。
そうしてわたしは、ゴリラを描くどころか、文章を書くこともできなくなってしまったのだ。
◆ 本書について
ことばは、弱い者に、弱いまま生きる力を与えてくれている。
本書は、ことばを持たないゴリラと対峙し、書くことで、そして書けなくなることで、生きることへの驚きとまなざしをつなぎとめた、全五章のエッセイ(画文集)です。
◆ 目次
第一章 ゴリラの森へ
書けない!/傷だらけのことば/時のすみか/眠れる森のゴリラ/ぼくのじかん、みんなのじかん
第二章 時(とき)と時間
青年よ、ヒマを抱け。/狂気の回し車/盗まれる時間をもたない少女/優秀な機械にはなれなくて/「あとで」のない世界/シルバーバックのいない世界
第三章 嘘
嘘つきはことばのはじまり/いっしょ!いっしょ!/めっちゃウマイらしいで!知らんけど。/わたしを海に連れてって?!/わからないから、書く。
第四章 感覚することば
わたしはさいきょう/声なしの母/詩なんてなくても、生きていけるけど/理由なんて、ない/これはゴロウですか!?/母になる
第五章 不死
不死は希望か、呪いか/穴のむこうから、こんにちは/ないのに、ある/時を超えることば
◆ 著者より
わたしは、何かに成功したから書く人ではありません。
失敗だらけで、傷だらけだから、書くことができています。
この本を書くことができたのも、ことばを寄せつけないほどの神々しさをまとった、
ゴリラのハオコを前に、ただ息をのんで立ちすくむしかなかったからです。
わたしのつまずきから生まれたことばが、誰かに届くことがあったら、とても嬉しいです。
ぜひ、ブースでお手にとって、ページをめくってみてください。
◆ 書誌情報