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ヘーゲルの『精神現象学』に1年間取り組んでみたら、最後に残ったのは、考えることへの誠実さでした。

  • 南1-2ホール | N-11 (評論・研究|現代思想・哲学)
  • へーげるのせいしんげんしょうがくにいちねんかんとりくんでみたらさいごにのこったのはかんがえることへのせいじつさでした
  • Koki
  • 書籍|B6
  • 431ページ
  • https://note.com/kokiko
  • 本書は、ヘーゲルの『精神現象学』を一年間読み続けた一人の読者の記録です。

    私は哲学者でも研究者でもありません。ただの会社員です。

    本書には学術的な新説も、体系的な解説もありません。その代わりに、一人の読者が難解な古典と格闘し、迷い、立ち止まり、ときに感動しながら考え続けた軌跡があります。

    読書とは著者との対話であり、本との対話であり、自分自身との対話でもあります。本書が皆さまの思索のきっかけとなれば、それほど嬉しいことはありません。

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    まえがきにかえて

    途方に暮れている。

    ヘーゲルの『精神現象学』を前にして、なぜこんな〝よくもわからない〟本に手を伸ばしてしまったのかと、途方に暮れているのである。

    この登山は危険である。

    人間に与えられた時間は等しく有限であり、その貴重な時間をどう使用するかは個人の自由ではあるけれど、これではあまりにも時間がかかりすぎるというものではないか。挙げ句の果てには、何も得るものがないまま、ただ文字の羅列を眺めているに等しい行為に満足して、「ああ、オレはヘーゲルを読んでいるのだ」という中二病のような自意識に支配されるくらいであれば、こんな本はさっさと投げ出してしまう方が有益であると私は思う。

    「なんだこれは?」
    そう思わないではいられないほどに難解である。むしろ、「これは難解なのだろうか?」と妙な錯覚をおこすくらいには〝意味がわからない〟書物なのだ。しかし、これで投げ出しても面白くはないし、とりあえずはやれるだけやってみようと意気込んでいる。

    『精神現象学』の「序文」には100ページ近くが割かれていて、私はここから読み進めたのだが、案の定ここで挫折してしまった。実は、ヘーゲルは『精神現象学』を書いたのちに、最後に「序文」をつけくわえたと言われている。したがって、今回の一連の読書活動において私は「序文」をすっ飛ばして、「序論」から入ることにした。

    とはいえ、すぐに意味不明の大海に投げ込まれるという厳しい環境が待ち構えていた。
    そこで私は今回、なんとかこの名著を読みほぐすべく、それぞれの章、あるいは切りの良さそうなところで区切って、ヘーゲルが何を言わんとしていたかを、私なりにまとめてみようと思っている。そうでもしないと、この読書はあまりにも苦痛なのである。だから、まずは少しずつ読んで、少しずつ「note」というSNSに備忘録をしたためることにした。
    とりあえずは、私自身を試す意味でも挑戦してみよう、と。

    またヘーゲルの『精神現象学』は、正直に言って、〝無理ゲー〟で〝ドM〟な読書である。

    〝あえて言おう、クソゲーであると〟。

    しかし、この「難解さ」にひるんで、あきらめるのは時期尚早でもあるとも感じている。
    そして、かりにその複雑すぎる理論のうちに、私たちが共鳴できる余地があるとするのであれば、私はそれを〝神ゲー〟と名づけたい。

    だから、私はヘーゲルの『精神現象学』を〝神ゲー〟とすべく、亀のようにゆっくりとではあるが、しかし確実に解釈していくために、ここにひとつひとつ、丁寧に精読の記録を残していく。
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    はじめに

    本書は、ヘーゲル『精神現象学』を、私なりに読み進めながら整理していった記録である。

    したがって、ここで目指されているのは、厳密な研究書というよりも、むしろ、「この書物とどのように向き合えばよいのか」を、読者とともに考えていくことである。

    『精神現象学』は、しばしば「難解な書物」と言われる。

    実際、一度読んだだけでは、何が書かれているのかよく分からない、ということも少なくない。読み進めているはずなのに、むしろ足場が崩れていくような感覚になることさえある。しかし、それは必ずしも「自分には理解力がない」ということではないのだろう。むしろ、この書物そのものが、私たちの普段の思考のあり方を揺さぶるように書かれているのである。

    だからこそ、本書もまた、「順番に読めばすべてが明快に理解できる」という種類の本ではない。
    分からない箇所があれば、飛ばしてしまってもよい。あとから戻ってきたとき、不思議と意味が見えてくることもある。あるいは、読み終えたあとに、前半の文章がまったく別のものとして立ち現れてくることもある。
    そのように、行きつ戻りつしながら読まれることを、本書はある程度前提としている。

    また、本書では、通常なら冒頭へ置かれるはずの「序文」を、あえて巻末へ配置している。
    これは、ヘーゲルの「序文」が、本来、読書の〝入口〟というよりも、むしろ旅をある程度終えたあとに読み返されることで、その意味が見えてくるような性質を持っていると感じたからである。

    したがって、本書は、何かの「正解」を手早く理解するための本ではない。
    むしろ、読み、立ち止まり、考え、また読み返す。そのような運動そのものを経験するための本として、ゆっくり読んでもらえたなら幸いである。

    なお本書における引用は、『精神現象学』(ちくま学芸文庫・熊野純彦訳)のKindle版をもとにしている。引用箇所には、読者の参照を助けるため、熊野訳に付された各節の小見出しとページ数を併記した。また、読みやすさを優先し、原語表記や補足的な注記の一部を省略した箇所がある。ページ数はKindle版の表示にもとづくため、紙版とは一致しない場合がある。
    本書に付した副題や小見出しは、読者の道しるべとして著者が独自に付与したものである。ただし、「序論」「感覚」「知覚」「悟性」「自己意識」「理性」「精神」「宗教」「絶対知」「序文」などの区別は熊野訳に従っている。
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