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黄昏いく子の草日記

  • 南1-2ホール | M-43 (小説|純文学)
  • たそがれいくこのくさにっき
  • 肩丘 灯
  • 1,000円
  • 自由奔放、ふしだらないく子が陰毛を処理して出会った男とは。
    「陰毛」「おっぱい」を収録。

    本文抜粋・・・

    唐突で、なんの脈絡もない「好きだ」が、いく子の頬をバチンとはじき、陰毛だけでなく全身の毛を全部抜くくらいの勢いで襲ってきて、いく子はその突風のごとき「好きだ!」にしばし固まった。

    「え??どういう事ですか?」

    「だからそのままの意味だけど。好きなんだけど。」

    宮本優一郎は、ふんぞり返って、そう言った。いく子は聞いた。

    「かわいそうな子が好きなんですか?私のことかわいそうだとおもったんですか?」

    宮本は首をふった。「起きた事はどうでもいい、それに対してどう感じて、どう行動するかがその人でしょう。俺は君のそういう心が好きになったんだ」と言ってのけたのだ。

     

    ここで、一度いく子の女子力というかモテ力について解説しておこうと思う。

    はっきり言っておくが、いく子の人生で「好きだ」と言われることはほとんどなかった(※4)いく子は、「ヤれる女」ではあっても、「モテる女」ではない。だから小説とかドラマのごとく妙にモテる女、というものではいく子はないのである。たまに、この人私のこと好きそうだなと思う事はあれど、それはおそらく性欲由来な「好きそうだな」だし、真正面から「好きだ」と言うような人といく子はあんまりで会ったことがない。皆、とりあえず「彼氏いるの?」とか、「好きな人いるの?」とか探りから入って、何回かデートして、軽く肩とかが触れ合って、「かわいいね」とか「またごはんたべいこう」とか「おはよう」とか「おやすみ」とかそういう流れと言葉で好きだということを変換して言ってくるような人たちだった。今日だって、一夜限りのランデブーは想像したけど、こんなの想像していなかった。

     

    どう答えたらいいのかわからないので「信じられません」と言った。彼は、ふぅん。と言った。「だってそんな急に」「急かなあ」「急でしょう」「信じないのか」「あんまり人を信じるタイプではないので。」「…でも好きだ。…‥‥信じられないかもしれないけど、信じたいでしょ?」「そんなこと言われたら‥‥」とごにょごにょつぶやきながら、いく子は自分の身体が熱くなり、顔が赤くなっていくのを感じていた。そんないく子に気づかないように雄一郎は別の話題を話し始めて、いく子はいやちょっとまってよ、と思いながら、最近ネトフリで見たらしい「ブレイキングバット」が面白いとかいう雄一郎の話を聞いた。「メキシコとアメリカの国境線が舞台ナンダ。」と雄一郎は言う。「なんですかその説明の始め方」といく子は笑う。

    話してみると、優一郎はそこまで口数は多くないくせに、話自体は面白かった。いや、いく子の話に対する返しのセンスが良い、というのだろうか。そのくせ突然、「とんぼはこうやって羽をうごかして飛ぶんだ」といいながら両手の親指を絡ませ、他の指を羽のようにくねくね動かし始めたり、かなり奇怪な人間であり、いく子はそんな雄一郎のおもしろさに、笑ったり、つっこんだり、していて、あっという間に時間がたっていた。いく子はべろんべろんになりながらも冷静に「好きだ」と言った割に、下心が全然見えないのはなんでだろう。会話そのものがこんなに楽しいなんて、いつぶりだろう。と思ったりした。

    終電は逃した。

    いく子と宮本は千鳥足になりながら、お互いに肩を寄せ合いそのままホテルに行くことにした。

    そうして、ヘラヘラ笑い合いながら夢みたいな気分でラブホのエレベーターに乗っている時だった。いく子は急に思い出したのだ。S子のパパの頭部を。「好きだっ!」に吹き飛ばされたいく子は、あろうことか、あのトラウマ級のサバンナを完全に忘れていたのだ。やばいと思った。このS子のお父さんの頭部を見たら、好きだ!が消えるかもしれない…。かといって、ホテルに来たのに、いまさらできないなんて言えないし、と散々迷った挙句ここはもう正直に言うしかないと、いく子は思った。

    いく子は意を決して、まっすぐに宮本の目をみて、低い声で言った。「私、実は今陰毛ががちゃがちゃで‥‥」宮本は、エレベーターの上がっていく階数のランプを見つめながら、がちゃがちゃ?と言い、あははは!と、爆笑した。いく子は宮本がそんなに笑う顔を、その時初めて見た。

    部屋に入ってから上着をぬいで、水を飲み、顔でも洗おう、と思い、ふと気づいた。

    「しまった。泊まるつもりがなかったからコンタクトの液を持ってきていない。」

    宮本は、じゃあ買ってくるよ。と言って、財布をもってドアに手をかけ、しかし思い直したようにふりかえって、いく子の頭に手をのせて、キスをした。素敵なキスだった。やわらかくて、さりげなくて、やさしかった。いく子は目をとじることもできず、いきなりやってきた宮本のドアップの顔と、やわらかい唇の感触と、ふわっとした柔軟剤の匂いに、心から安心して、なんだかちょっと泣きそうになった。あの時、なぜか突然、今までのやみくもに暗闇を歩くような日々が今このキスした瞬間終わって、雨上がりの葉っぱのようなきらきらした日々が、これから待っているような、そんな予感がしたのだ。宮本は、口を離すと振り返らないでそのまま出ていった。後ろ姿の、黒い髪から覗く両耳が真っ赤だった。


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