陰謀論。
世の中で起きた出来事の裏に、表向きには知られていない「誰かの意図的な企み」がある、とする考え方。
日常という“エンドレス繰り返し構造”や、
あたりまえという“透明な麻痺”を設定してしまう選択によって、
われわれは、誰かが用意した物語を受け入れやすい「油断した環境」を、セルフサービスで構築していっているのかもしれない。
この“陰謀論ビオトープ”とでも呼ぶべき世界では、いつの間にか、自分発の思考が入り込む隙間がなくなっていく。
それどころか、誰かさんの、誰かさんによる陰謀論に満たされた世界は、外来種に占拠されてしまった池のように、いつしか在来種である“自分自身による思考”の絶滅を呼ぶだろう。
とはいえ、自分が絶滅危惧種かどうかなんて、自分自身で判断するのはなかなかむずかしい。
そんなときに用いる概念、それが【疑日常】。
【疑日常】とは、当たり前だと思っている日常の景色や習慣に「本当に?」と疑問を投げかけ、見慣れたものの中から、まだ見えていない非日常やあたらしい視点を掘り起こしていく試みである。
本書『疑日常2』は、在来種としての“自分自身”が、本当の意味で生存権を取り戻すための除草作業の手引きである。
読むことで、
誰かの答えで埋め尽くされる前の、
自らの中に本当は芽吹きたがっている新芽の存在を確認してほしい。