人間は、「変化」の中に「生」を感じる生き物なのかもしれない。
たとえば花火は、日常を非日常へと変える体験だ。
その光景を見ることで、人は今年も「生きている」ことを実感する。
あるいは梨を食べて、季節の変わり目を知る。
そんな小さな変化の中にも、「今年」という時間の流れと、自分がそこに存在している感覚が宿っている。
けれど本当は、そのようなわかりやすい変化を待たなくても、日常の中には、あたりまえの顔をして紛れ込んでいる非日常が、無数に存在しているのではないか。
そんな仮説に、『疑日常』という名前をつけてみた。
これは、「日常」に擬態した「非日常」を探す試みである。
見慣れた景色や、通り過ぎてしまう感覚に、もう一度問いを差し向けることで、読者それぞれの「生」の実感に触れるきっかけとなればうれしい。