『紫のひかり——三〇〇八年物語——』
源氏物語へのオマージュ。三〇〇八年の火星を描く。
全六十章・和歌六十五首・挿絵百五十五点(場面画九十点・和歌の書六十五点)の〈現代版絵巻〉
すべては移ろうがゆえに、いとおしい——「もののあはれ」のただなかに、移ろわない者を置いたとき、何が見えてくるのか。
起動の朝のことを屋敷の誰もが覚えていた。
覚えていないのは、ヒカルだけだった。
——第一章「暁霧」より
【物語】
西暦三〇〇八年。人類が火星に築いた円環状の居住区〈環〉では、旧家が暦をつくり、春には霧が峡谷を満たします。名門・水上家に迎えられた人造の貴公子ヒカルは、歳を取らず、そして——泣くことができません。設計者は、図面の隅に小さな余白だけを遺して世を去りました。
なぜ、涙は入れられなかったのか。あの余白には、何が入るはずだったのか。
答えを知る者のいないまま、ヒカルは人の世を生きていきます。恋をし、別れ、引き取った菫の少女が娘になり、女になっていくのを傍らで見ながら。人は老い、変わり、やがて逝く。彼だけが、出会った日の姿のまま。
涙のない悲しみは、たぶん、涙のある悲しみより、乾いて、長い。
——第四章「露の宿」より
【本のかたち——現代版絵巻】
本作は、源氏物語へのオマージュとして書いた物語です。全六十章の章の名や場面には、源氏物語の帖を手がかりにしたところがあります。「桐壺」に対する「暁霧」、「若紫」に対する「若菫」のように。ただし筋も人物も長さも原典とは大きく異なる、独立した物語です。
各章の要所には、歴史的仮名遣いの和歌を計六十五首。感情のきわまる場所で、散文は歌に席を譲ります。
目覚めたる その曙を 知らずして 我が始まりは 霧のかなたに
挿絵は百五十五点。スフマートを思わせる繊細な油彩風の場面画九十点を章の扉や場面の間に置き、章末の歌には和歌の書六十五点を添えました。絵と文と歌が、一冊のなかで呼び交わします。
本は縦書き・A4判・フルカラーの上下巻で、上巻百七十二ページ・下巻百七十四ページ。下巻の巻末には、登場人物の肖像と、人物一覧・用語注を収めました。
本文・和歌・絵の制作には生成AIを用いています。詳しくは末尾の付記に記しました。
【はじめての方へ——源氏物語を知らなくても】
予備知識は要りません。本作は源氏物語の翻案でも注釈書でもなく、そのオマージュとして書いた、独立したひとつの小説です。原典をご存じの方は、章の名や和歌のところどころに、千年前の物語の面影を見つけられるかもしれません。ご存じない方も、そのまま読み進められます。どちらの扉からでも、同じ霧のなかへ出られます。
深い霧の物語ですが、ところどころに、ふっと肩の力が抜ける場面も置きました。新年の言葉遊び、湯気の立つ食べもの、こまっしゃくれた子どもたち。
【登場する人々(ほんの一部)】
ヒカル——歳を取らない人造の貴公子。起動の朝を、自分だけが覚えていない。
スミレ——幼くして預けられ、菫を育てる少女。「待つことなら、得意です」
冬馬——七つか八つで、起動の朝に立ち会った子。長じて、図面の余白の謎を生涯かけて追う。「……見とどけたい、ものが、ありまして」
アカリ——辺境の家に生まれ、琴を弾く娘。「わたくしは、変わります」と言った人。
ほかにも大勢の人々が六十章のあいだに生まれ、生き、去っていきます。彼らの多くは、去りぎわに、いちばん強い言葉を遺していきます。
【この本が描くもの】
忘れることのできない身体は、喪をどう終えるのか。待つことは、誰の仕事なのか。名を訊かずにいることは、優しさなのか。
千年後の火星を借りて描いているのは、いまのわたしたちの話です。覚えていることと、覚えられていること。AIと暮らしはじめた時代に、「歳を取らない隣人」はもう空想ではありません。千年読み継がれてきた物語から心の動きを学び、まったく新しい未来の物語として描くこと。「古きを訪ねて、新しきを知る」が、この本の設計図です。
【当日のご案内】
十一月八日(日)、文学フリマ東京43のブース「く-97〜98」(南3-4ホール)に出店します。
本は展示と閲覧のみで、販売も頒布もいたしません。上巻は、どうぞ自由に手に取って、好きな章をひらいてください。絵だけ眺めていかれても結構です。卓には、登場人物の顔と名前をまとめた「人物の栞」も置いています。
お持ち帰りいただけるのは、A4の案内チラシ一枚です。
表紙や展示の様子の撮影は歓迎します。本文のページの撮影と、SNSなどへの掲載はご遠慮ください。
この作品に関するお知らせは、著者のX(@Sankaikuu1)でお伝えします。
千年後の火星の霧を、少しだけ覗いていってください。
手の動きは、人から人へ、渡っていく——作中の一節です。この本もまた、千年前から渡されてきたものを、次へ渡す試みです。物語の入口で、お待ちしています。
【付記——生成AIの使用について】
本作は生成AIを使って書かれています。著者が世界・物語・人物・六十章の構成と表現方針を設計し、生成AIが本文と和歌の草稿を書き、著者が章ごとに選択と推敲を重ねて仕上げました。場面画・和歌の書・人物の肖像にも生成AIを用いています。登場人物はいずれも本作のためのオリジナルの造形で、実在の人物や既存作品を模したものではありません。
和歌六十五首は、生成AIの草稿から著者が選びました。歌は主に本歌取りの技法で書かれ、源氏物語の贈答歌や古今集の歌を踏まえた語彙・句形を含んでいます。元歌を知っている読者には、詠まれていない部分まで聞こえ、知らない読者には、単体で完結した一首として読めます。