『紫のひかり——三〇〇八年物語』
源氏物語を、三〇〇八年の火星へ。
全六十章・和歌六十二首・予定挿絵約一五〇点の〈現代版絵巻〉
すべては移ろうがゆえに、いとおしい——「もののあはれ」のただなかに、ただひとり移ろわない者を置いたとき、何が見えてくるのか。
起動の朝のことを屋敷の誰もが覚えていた。
覚えていないのは、ヒカルだけだった。
——第一章「暁霧」より
【物語】
西暦三〇〇八年。人類が火星に築いた円環状の都〈環〉では、旧家が暦をつくり、春には霧が峡谷を満たします。名門・水上家に迎えられた人造の貴公子ヒカルは、歳を取らず、そして——泣くことができません。設計者は、図面の隅に小さな余白だけを遺して世を去りました。
なぜ、涙は入れられなかったのか。あの余白には、何が入るはずだったのか。
答えを知る者のいないまま、ヒカルは人の世を生きていきます。恋をし、別れ、引き取った菫の少女が娘になり、女になっていくのを傍らで見ながら。人は老い、変わり、やがて逝く。彼だけが、出会った日の姿のまま。
涙のない悲しみは、たぶん、涙のある悲しみより、乾いて、長い。
——第四章「露の宿」より
【本のかたち——現代版絵巻】
源氏物語五十四帖に六帖を加えた全六十章は、原典の帖立てに対応しています。「桐壺」は「暁霧」に、「若紫」は「若菫」に——千年前の物語の骨格が、火星の暦の上で生き直します。
各章の要所には、歴史的仮名遣いの短歌を計六十二首。感情のきわまる場所で、散文は歌に席を譲ります。
目覚めたる その曙を 知らずして 我が始まりは 霧のかなたに
挿絵は、スフマートを思わせる繊細な油彩風で約一五〇点の予定。章の扉に、場面の間に、章末の歌に添えて、絵と文と歌が一冊のなかで呼び交わします。
予定している仕様は、縦書き・A4判・フルカラー・約三〇〇ページ。巻頭に人物一覧と用語注を置き、はじめての方も迷わず物語に入れる造りです。
なお本作は、著者が世界・物語・人物・構成のすべてを設計し、その設計に基づいて生成AIが本文を執筆し、著者が章ごとに選択と推敲を重ねて仕上げた、人とAIの協働による小説です。挿絵も生成AIを用いて制作しています。詳しくは末尾に記しました。
【はじめての方へ——源氏物語を知らなくても】
予備知識は要りません。本作は翻案であって注釈書ではなく、独立したひとつの小説として読めるように書かれています。原典をご存じの方には、帖と帖の照応など、六十章ぶんの隠し扉を。ご存じない方には、これが千年前の物語の器だったと、あとから知る楽しみを。どちらの扉からでも、同じ霧のなかへ出られます。
深い霧の物語ですが、ところどころに、ふっと肩の力が抜ける場面も置きました。新年の言葉遊び、湯気の立つ食べもの、こまっしゃくれた子どもたち。悲しみだけでは、六十章は歩けませんから。
【登場する人々(ほんの一部)】
ヒカル——歳を取らない人造の貴公子。起動の朝を、自分だけが覚えていない。
スミレ——幼くして預けられ、菫を育てる少女。「待つことなら、得意です」
冬馬——七つで起動の朝に立ち会った子。長じて学者となり、図面の余白の謎を生涯かけて追う。「……見とどけたい、ものが、ありまして」
アカリ——辺境の琴の名手。「わたくしは、変わります」と言った人。
ほかにも大勢の人々が六十章のあいだに生まれ、生き、去っていきます。彼らの多くは、去りぎわに、いちばん強い言葉を遺していきます。
【この本が描くもの】
忘れることのできない身体は、喪をどう終えるのか。待つことは、誰の仕事なのか。名を訊かずにいることは、優しさなのか。
千年後の火星を借りて描いているのは、けれど、いまのわたしたちの話です。覚えていることと、覚えられていること。AIと暮らしはじめた時代に、「歳を取らない隣人」はもう空想ではありません。千年の読者に検証されてきた心の記録——源氏物語——を、その未来へ運びなおすこと。「古きを訪ねて、新しきを知る」が、この本の設計図です。
【当日のご案内】
ブースでは、絵・本文・短歌を一面に収めた見開きの見本誌を自由にご覧いただく予定です。世界観と人物を紹介する無料カタログもご用意します。
千年後の火星の霧を、少しだけ覗いていってください。
手の動きは、人から人へ、渡っていく——作中の一節です。この本もまた、千年前から渡されてきたものを、次へ渡す試みです。物語の入口で、お待ちしています。
【付記——人とAIの協働について】
本作は、著者が世界・物語・人物・構成のすべてを設計し、その設計に基づいて生成AIが本文を執筆し、著者が章ごとに選択と推敲を重ねて仕上げました。
執筆後は、複数のAIを「読者」に見立てた素読みテストを数十回実施しています。どの行で本を閉じたくなったか。一年後も覚えていそうな場面はどこか——読者役の率直な報告をもとに、数百回の改稿を行いました。削るべき説明を削り、黙るべき場所で黙る。その判断は、すべて著者がひとつずつ下しています。
挿絵にも生成AIを用いています。登場人物はいずれも本作のためのオリジナルの造形で、実在の人物や既存作品を模したものではありません。和歌六十二首(注)は、推敲の全過程を通じて一字も変えずに守られました——生成の時代における、人間の署名として。
(注)本作の和歌六十二首は、主に本歌取りの技法で書かれています。原典の贈答歌や古今集の歌を踏まえた語彙・句形を含んでおり、元歌を知っている読者には、詠まれていない部分まで聞こえます。知らない読者には、単体で完結した一首として読めます。