2026年の元旦、私はセックスをしていた。じつに12年ぶりである。好きでも何でもない相手と、36歳にもなって、である。この間まで、子宮取ろうかななんて考えていたのに。いや、子宮取ってもセックスはできるけど。
それ以来、おもしろさも意義も感じていなかったセックスに、「趣味」と言っていいほど没頭している。2026年を振り返る時、きっと最初に「セックス」って言葉が浮かぶ。
それほど、自分を構成する大きな一部であると感じるほどに、セックスは私自身と不可分の何かになった。
書き留めておきたいことばかりだ。思い浮かんでは消えていく。
セックスを通して気づいたことの一つに、「何かに触られて初めて、そこに自分の身体が存在することを知る」というものがある。触れられ、見つめられ、問われることによって、身体という存在の確らしさが上がる。
書き留めておかねば、と思う。
そうすることで、その時の感情、気づき、ひらめき、きらめき、刹那が、存在することになる。
だから書く。セックスに迷い続けるであろう未来の自分が、来し方を振り返り、存在の確からしさを思い出せるように。
2026年4月23日スチャラカボーヤ