【委託】あなたが美しさと呼んだから(前)
- 南1-2ホール | C-23 (小説|エンタメ・大衆小説)
- あなたがうつくしさとよんだから まえ
- 佐野 みう
- 書籍|B6
- 100ページ
- 1,000円
- 2026/5/4(月)発行
- 「夜中に呼び出してごめんね。ちょっと話聞いて欲しくって」
深夜0時。学校の多い街だからか、ざわつきが途切れないファミレスのボックス席。 ドリンクバーとは思えないほどおいしいと評判の、豆を挽いた香ばしいコーヒーの匂いがする。けれど私が選ぶのはこんな時にしか飲まない緑色の炭酸。メロンソーダが注がれたグラスの中で、泡がはじけて氷がカランと音を立てる。注文したモンブランは、まだ届かない。 喧噪の中で、誰かの声に紛れ込ませるようにしてしかできない話が、今の私にはある。
去年、私、一回死んだんだよね。
あ、別に幽霊になってここにいるわけじゃないよ。でも、物理的にも精神的にも、あの時たしかに「私の中の何か」が死んだ。めちゃくちゃに。きつかったのか、すがすがしかったのか。 それからの一年は、一言で言うなら「膿」を出す作業だった。 人間って、簡単には生まれ変われないんだね。 二十年分、溜めに溜め込んだドロドロしたやつ。それを一年かけて自覚させられて、泣きながら、吐きそうになりながら、時には誰かに助けられて、絞り出して。ようやく姿を取り戻したのが、今の私。
ねえ、信じられる? 四十度の熱で肺炎になって、息も絶え絶えになってる私に、一番近くにいたはずの旦那がしたのは、ゼリーを枕元に一つ置くだけよ。
あの時、息もできずにもがき苦しんだ私と一緒に、「健気な母」も「聞き分けの良い妻」も、綺麗さっぱり死に絶えたんだと思う。
そこからのことは、正直、自分でもどうかしてると思うよ。 不倫もした。瀬田さんっていう、自分でも怖くなるくらい重い愛情を注いでくれる人に出会って、7センチのヒールを履いて、隣を歩いた。私が憧れて焦がれたものを、「女」であることを思い出させてくれた。
でもね、結局のところ、私は誰かに縋りたかったわけじゃないんだよね。 瀬田さんに救われたのは事実だけど、彼の愛に溺れていたいわけでもない。 というか瀬田さんとは、この間別れたばかりなんだ。フラれちゃった。 案外あっけない結末だったんだ。
「……バカだなって思うでしょ?四十も過ぎて、あたふたと。でもきっとこのタイミングじゃないと、なんにもできなかった」
でもさ、きっとこのタイミングじゃないと、なんにもできなかった。 生まれ変わろうとも。血迷おうとも。
この話を全部吐き出し終わったあと、私はもう、同じ過ちは繰り返さないって決めたんだ。 旦那に人生の全てを預けてしまって失ってしまった二十年。 どうしたらいいのかわからなくて、もがいて、死んで、血迷って、路頭に迷った一年。 そうやってようやく見つけた「これから」を、私は逃がすつもりはない。 なにがあってもひとりで生きていけるようになるつもり。
どうしてそんな風になっちゃったのか、ちょっと長くなるけど、最後まで付き合ってくれる?
私の、バカみたいで壮絶な、ひとり立ちの一年の話。
