[内容サンプル]
1日目 1・1〜19
ご存じ天地創造の最初の記事です。この記事は古代オリエントの神話をもとに書かれたと言われます。ここに書かれた通りに世界は創造されたのではありません。世界を創造された神の力と、神への信頼がこのようなかたちで表されていると読んだほうが楽しいでしょう。
神の言葉によって、すべてが一体になっていた「混沌」から、光と闇、水、地、草木、太陽や月が分かれます。これらのものの背後に神がいます。
2日目 1・20〜2・3
あらゆる生き物を造られたあと、神は人間を「自分のかたちに」創造されました(27)。古代オリエントでは、神の似姿とされたのは王だけでした。しかし、聖書は人間がみな神の似姿なのだと言います。その上「男と女に創造された」とあります。今の言い方をすれば、どのようなジェンダーであれ、神の似姿だという宣言です(排除ではなく、包摂!)。神は自らの似姿である人間を祝福し、あらゆる生き物を「治める」(28)ようにと言います。好き勝手にしてよい、ということではありません。神の代理人としての責任(と特権?)が、人間にはあります。
天地を極めてよいかたちで創造された後(31)、神は第七の日に休まれました。神ですら休むのです。私たちも休みましょう。神の安息をもって、世界は完成します。
3日目 2・4〜14
天地創造の話が終わったはずなのに、また人間が創造された次第がつづられます。ここまでの記事を書いた人たちとは別の人が書いたというのが一般的な説です。土の塵という無価値のものをこね、命の息を吹き入れ、神は人間を創造されたとあります。私たちの尊厳はからだそのものにはなく、神に吹き入れられた息吹にあるのです。古代オリエントには人間は神の代わりに働かせる、一種のロボット?として造られたという発想もあります。しかし聖書は最初から人間を神の息吹によって生かされた、独立した存在として描きます。
エデンは地上のどこなのか……と考えるのはつまんないですね。神によってつくられた素晴らしい園(庭)という発想は、古代オリエントによく見られるものです。そこから命を生み出す水が流れ出ているというイメージから、世界に広がる命の基としてエデンが考えられていると読めるでしょう。