汀心 vol.3 復讐について
- 南1-2ホール | S-79〜80 (小説|純文学)
- ていしん ヴぉりゅーむすりー ふくしゅうについて
- 水飼心 長澤沙也加 笛宮ヱリ子 染水翔太 杉森仁香 藤野 不浦暖 中原透明 ら
- 書籍|A5
- 166ページ
- 1,300円
- https://note.com/akutan/n/nb7…
- 2026/5/4(月)発行
「汀心 vol.3 復讐について」
心の縁を揺らすアンソロジー「汀心」の第三弾「汀心 vol.3 復讐について」は、復讐をテーマとする小説、詩、エッセイ、書評、映画評を収録。
【著者】
長澤沙也加、笛宮ヱリ子、染水翔太、杉森仁香、藤野、不浦暖、中原透明、水飼心、野葛間、常世田美穂、戸夏光、今井まりしてん、犬山昇、長谷川萌、継堀雪見
【装幀】
麻生誠治
・上記URLの方では、著者全員のプロフィールやメッセージ、作品紹介を掲載しています。ぜひご覧ください。
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以下、小説の一部引用を紹介します。小説
長澤沙也加「ゆずさんの横顔」
その日、ベランダでは、もくもくとした煙の中、アメリカで起こった同時多発テロの話で持ち切りでした。みんな興奮していました。日本でかつて起こった戦争は、おばあさんおじいさんの世代で終わった、遠い日のできごとでした。
タバコのフィルターを吸い、はしゃいでいるクラスメイトの向こうにいるゆずさんを見ていました。ゆずさんは、正面にある山手線のホームをじっと見つめていました。大切な人でも立っているのだろうか、そこにいるのかもしれない、ゆずさんの大切な人を探しました。たくさんの人たちが全員、ゆずさんにとっては大切な人のような気もしてきました。中身がなくなったタバコの箱を、左手の中でゆっくりと潰しました。笛宮ヱリ子「KIOSK」
ことん、と小銭が置かれる音がしたから、十糸子は積もり積もった習わしを働かせて、スンと背すじを伸ばした。目の高さちょうどに灰色のカウンターが見えて、さっきまで、じぶんが半ばうたた寝しようとしていたことに気づく。椅子の高さは、座ったときにちょうど足が地面にくっつくように調整しているが、背が低いから結局はいつでもカウンターの奥へ没してしまう。十糸子がうつむいていた頭を上げたのを見て、見知ったお客さんは軽く頷き、踵を返して駅舎の改札口へ歩いていった。後ろ姿でも、ぐりりとした肘の動きで、購入したマスクのビニル封を割いたのがわかった。あのお客さんは月曜の朝だけ、電車に乗ってどこかへゆく。
染水翔太「空転」
公園のベンチに座って紅葉を見ながら本を読んでいたら、煙草のにおいがした。顔を上げると中年の男が煙草を吸いながら犬の散歩をしていた。犬種は分からないが、小さいのでたぶんチワワだと思われた。男は吸い終わった煙草を先ほどまで子供らが遊んでいた砂場に投げ捨て、犬とともに去っていった。煙草のにおいが消えたころ、私はまた本を読み始めた。
杉森仁香「相模子供部屋ファイターズ」
兄はおそらく今年で四十二歳になる。おそらく、というのは、私が今年三十七歳なのだから私たちの年齢差から考えればきっと、おそらくそうだろう、多分、確か、というどこまでも曖昧な感覚が続いているからだった。
「ねえ、さっき吉野のおばちゃんに会ったよ」
ガムテープで埋めた穴ぼこに囲まれた廊下を渡ったその先にある扉には光が当たらない。古い一軒家の、二階の構造上仕方がないのだ。ここに兄の部屋を割り当てた両親の采配は、単純に間違いだったと思う。藤野「わたしと顔」
アーケード街にあるアンティーク店で働くことになった日、わたしはまだその仮面を知らなかった。しかしアンティーク店のことは知っていた。アンティーク店は金とか銀とかエメラルドとか、きれいなものであふれている店で、そこではたらく自分に満足していた。だって、わたしの顔はすごく可愛いと言われる類いのものだったから。そもそもアンティーク店で働けたのはわたしの顔のおかげ。面接のとき、オーナーはわたしの顔をじっと見て、それから誰かの申込書とわたしのを見比べて順番を入れ替えた。入れ替えられた申込書に貼られていた写真は恨みがましくわたしを見たが仕方がない。わたしは採用された。
不浦暖「エミリーと刺客」
復讐代行します──と赤い背景にゴシック体で無機質に記された広告がYouTubeに脈絡もなく流れてきた。日菜子はそれをスキップするつもりが間違えてクリックしてしまった。
氏名・住所・電話番号。
その三つの入力欄しか存在しないページに飛ばされた。謎めいて不親切でしかし雑味のない見た目。それに惹かれてあるいは復讐したい人はいるだろうかと暫く考えて、日菜子はいつしか涙を流し、なぜこのように泣いているのか三たび考え考えることに疲れてしまい、この疲労感にこの世の終わりを思った。この世とは彼女の疲労だった。
中原透明「アイム・イン・ザ・ドッグハウス」
妻がスマホを横にして観ている実家で飼っている柴犬のドンちゃんの動画は、横になって眠るドンちゃんは脚を、広大な土地を走り回る時のように、一定のリズムで回転させてうぁう、うぅと寝言をいう、夢を見ているとして、たとえばドンちゃんは飼い主が握るリードがぴんと張るほどに、全力で駆け抜けていた。どこまでも走り抜けられる。疲れがない。そのうち足が空を切る、底が抜けたような感覚が、布団の裾が視界に映り、差し込んでくる嗅ぎ慣れた匂いが、部屋、そのなかに自分がいる、と認識して、さっきまでその足が捉えていた土地のことを、存在しないとは思わないのではないか。
水飼心「エモーショナル・スペクトラム」
私は置いていかれてなんていない。むしろ私だけが、まだこの道を走れているんだ。
宇宙の内側で何よりも映えるほどに青みの強いふかふかの道。思うままに口にして、思うままに足を運んで。
