十時になってもえだちゃんは店に来なくて、電話しようかな、した方がいいかな、とレタスをちぎりながら考えていたら、裏口の扉が開いて、おはようございまーす、とやって来たえだちゃんの黒いゴミ袋みたいなショルダーバッグでは、キーホルダーにしては大きくてぬいぐるみにしては小さい熊か猫のマスコットが揺れ、デシャップと洗浄機の間をすり抜けて事務所に向かう黒いロンTの背中には白い糸屑が何個も付いていた。
お花が好きなわけではなかった。
各クラスで「読書係」「給食係」といった役割を設けて担当者を数名ずつ選出する決まりとなっている中、一年生から六年生まですべての学年で圧倒的人気を獲得しているのが「お花係」であった。
お花係に任命される女の子はかわいくて人気者で陽キャ、という感覚を誰しも持っていて、皆、自分の理想的なブランディングのためたった一枠のお花係にこぞって立候補していた。中には本当にお花が好きな子もいたのかもしれないが、純粋なお花への愛着など簡単に埋もれてしまうくらいにお花係という役割そのものに価値があった。
青井家の奥さんが引き出しに仕舞ってあった夫の過去の手帖を見て浮気に気がついたのは、夫がその不倫相手と別れて一年後のことだった。好奇心から覗いた手帖に「社内打ち合わせ」「資料締切」「病院」「データ整理」「車の点検」といったタスクの他に「T」が突然現れ、その後頻繁に記されるようになる。彼女の脳裏にある思いが浮かんだ。
まだ事の柔らかさに気付いていないままで、それでも一歩一歩を踏み締めていました。確かに歩みは接着と剥離の繰り返しで、圧縮と解放の連続でした。例えば今ここに必要不可欠な喞筒が宙(う)いているとして、その喞筒は周期的に動いていました。しかし、その拍動の周期は歩き方の拍子とは全く関係なく、独立した自律的な運動であることが明白でした。
なにか物語がはじまっていたとすれば、高校三年生の夏のあのときからだったのだろう。補講の帰りに寄った本屋さんで参考書を買うついでに店内をうろうろしていたら、ニュース番組で見聞きしていたのとおなじ文言を見つけて週刊誌に手を伸ばしていた。人気アイドル泥酔キス、なんて銘打たれた写真は手ぶれと解像度の低さでどこかぼやぼやとしていたけれど、恋人たちがベッドになだれこむ寸前みたいな体勢でキスをする女性アイドルと男性俳優の、互いの身体をひしと支えあう手の力の入れ具合とか、これ以上はないような身の委ねかたで激しくくちづけを交わす姿とか、そういったものに眩めくような心地がした。
「いいよパパ、卒業式こなくて」
ウォークインクローゼットからクリーニングのタグが付いたままのスーツを引っ張りだし、リビングに立つ娘用のお姫さまみたいなドレッサーのまえでお腹まわりを気にしていたところ、そう尖ってもいない声が背後から飛んできた。
眉をひそめて振り返ると、娘は椅子のうえにバーバリーのミニスカートがはだけるぐらい脚をのせ、僕が自動運転ソフトウェアのトラブルがらみで出張したおりに買ってきたもみじ饅頭の包装をぬがしていた。
「おおかみとしちひきのこやぎ」で、子ヤギをのみ込んだオオカミは、母ヤギによってハサミでじょきじょきお腹を切られ、子ヤギを取り出され石を詰められ、針と糸で縫われる。小さい頃、そのくだりがくると、想像を止めるため目をぎゅっと瞑った。母のお腹に、オオカミと同じ、針と糸で縫われた痕があったから。
二〇一四年から二〇二〇年まで、わたしが大学・大学院と六年間通学した大阪大学豊中キャンパスには当時、有名な野良猫がいた。三匹くらいいたと思う。彼らは学生たちに大人気で、いつ誰によって与えられたか分からない名前もあり、校内の情報誌には似顔絵や性格まで書かれていた記憶がある。わたしが彼らを目にするとき、彼らはいつもキャンパスの隅の方でしゃがみこんだ誰かしらに撫でられていた。わたしは彼らに一度も触れたことがない。彼らの名前も、一匹も覚えていない。
流木が
倒れていた影のさきから
また草が萌えでようとする
終わりから再会を
写し取ろうとする水際まで
歩いただろうか
夫役の人が新しいいきものを飼い始めたので
玄関に花を飾るようにした
バスタブに水を溜めた中に長い茎を浸して
三和土に置いておけば
妻役のわたしには見えない新しいいきものの
輪郭がはっきりしてくるような気がした
〈アミと私のあいだに、恋愛感情はない〉。芥川賞作家・朝吹真理子の長篇小説『TIMELESS』を読んでいると、恋愛というものに人間の生涯がいかに雁字搦めにされているか、身につまされる苦い心地がする。
一九八二年公開のジョン・カーペンター監督作『遊星からの物体X』は、南極基地を舞台にアメリカの観測隊員たちが未知の宇宙生命体「物体」と生存を賭けた戦いを繰り広げるSFホラーの金字塔である。本作が今なお高く評価される要因は「物体」のデザインとアクションが、この生命体の本質をこれ以上なく的確に表しているからだ。
人間に決定された唯一の未来は死であり、またわたしたちは死ぬまで食事する。食事ができなければ人はやがて死ぬ。ルイス・ブニュエルの晩年作、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』は、ある勘違いをきっかけとして食事の機会を逃すことから始まる。