そのたたずまいから、少年は以降に広がる未知数の可能性に対して、大事を成すに充分な資格をもっていたと思われたのだ。事実、希望をより手の届く範囲に近づけるべく途方もない金と時間を費やした両親は、その恩恵が近い未来に返ってくることを信じて疑わなかったわけで、生じた予感を確信にまで昇華させたのは、少年が生まれながらにして得た資質に違いなかった。旋律を再現するに優れた小さな両耳、悩む間に思考を凌駕した十本の指、理想を忠実に鍵盤へと落とし込むのは揺るぎない自信である。黒い光沢を放つグランドピアノに向かった彼は、かつて機体に飛び乗るパイロットがその誇りを瞳に携えたように、実績と自信にあふれる自らの過去を従えていた。
自信は努力により増長し、努力は資質を助長する。植えつけるには早過ぎた競争原理から、承認欲求というあくなき感情が芽吹く。他人を吟味することでしか自らの価値を見出せない連中が理を変え、思考の形を劣化させ、見事なまでの遷移によって完成された世界。その片隅において欲求を肥大化させた少年の姿は、与えるべくして与えた期待という名の家畜を自由自在に操る遊牧民に似ていた。しかし、そういった期待に対して、自分以外の誰かが対価を払えば払うほどにその資質は自身から剥離していく錯覚に陥る。夕刻時の振り返りざまに現れる、足元から千切れんばかりに伸びた影が主の才覚や自信を奪い去って行き、周囲の視線もいつしか本人を差し置くその偶像に当てられることとなった。
自分にはなにかをやり遂げる資格がある。父が自慢話のように周りに語った話も、母が大事に額に入れた賞状も、級友から向けられた羨望のまなざしも、どれもこれもみなこの手で掴んだものじゃないか!
連中がその一挙一動に注目し、少年が口を開くのを待っている。表彰台に登る少年は、傍らの二人よりも高い位置まで段を跨ぎ、そして立ちすくんでいる。眼下にて歓喜し、カメラを向ける奴らの視線は彼の方へ向けられているが、いまこの場に立ち、笑うことも話すこともままならない少年の姿は、果たして彼自身の姿なのだろうか。
神経に戸惑いが生じ、優秀だった殻に錆が浮き始めた。いくら気丈に振る舞っていた少年と言えど、自らの身体への異変に気味の悪さを覚え、親にも級友にも話が漏れないよう、あえて関わりの薄い教師に同行を頼んで病院へ行った。医師は大して興味もなさそうにその錆び付いた殻を見て、
「チック症だ」
と、言う。
──あるときを境にして少年から伸びる影は、さらに大きな才能という光に呑まれた。普段小馬鹿にしていた子供たちが、少年を見るために表彰台から視線を下に向けた。いずれはこうなるとの予想はしていた。そのある時がいつであったかは記憶に定かではないが、たしかに少年の資質はその頃を境に枯渇してしまったのだ。呆然とこちらを眺める両親の感情が失せたまなざしは、彼が持っていたはずの何らかの資格を喪失してしまったのだという事実のみをただ伝えていた。その晩から少年はどこからともなく強烈な視線を感じるようになる。後悔でも恨みでもない、ただ圧倒的な嫌悪感を孕んだその視線は、憔悴した少年を的確に捉えるのである。
可能性という名の実を千切っては捨て、いまや立派に付いていたはずである実の色や香り、形でさえ思い出せない。腐った土壌に根を張り醜い枝を広げ、最後に残った自尊心という決して綻ぶことがない蕾を守るために存在するその身体や精神は、十数年が経過した今日でも、あの激しい嫌悪感を持つ視線を強く感じるのである。
< 続く >
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