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鎌倉少女

  • 第一展示場 | A-59〜60 (小説|エンタメ・大衆小説)
  • かまくらしょうじょ
  • 橋尾克彦
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 600円
  • https://twitter.com/KH199214
  • 2022/11/20(日)発行

  • ■「鎌倉少女」

     作品
     華火116  
     鎌倉少女  
     未来世紀の子供たち  
     幻影
     第七談話室
     秘めた才能を開花させよ!

     
     「鎌倉少女」  著者:橋尾克彦 
     
     あれから五度目の夏を迎えようとしていた。 沈みゆく陽の光が、朽ちた小屋の窓から差し込んでくる光景。狭い空間は次第に薄暗くなり、右手に持つ招待状の文字列は、果たして何を表しているのかが分からなくなる。床のどす黒い滲みは、わずか数年の月日でここまで大きさを増したのだろうか。壁の端に捨てられたようにして積み上がる舞台衣装、歪んだ姿見からは、彼らの強靭とも言える意志が。そして、唯一その姿を保っているように思えた事務机。刻まれた小さな傷に反射する形で、悲痛の叫びを僕に浴びせたのだった。  あれから五度目の夏を迎えようとしていた。今年の夏を招き入れたとき、僕の、そして彼らの若き時代は終わりを告げる。
       ⁂
     夏の香りがただよう頃、蝉に先んじて声を枯らす山下からの連絡は、大学を卒業して二年経つというのにいまだその無邪気な好奇心を胸の内に潜ませているように思えた。   長い梅雨に閉じ込められた六月の暮れ、窓越しに聴こえる雨音に辟易していた僕だったが、いざ梅雨が明けると頭上より身を焦す猛暑のせいで、やはり外出する気にはなれなかった。カレンダーをめくると、目に付くのは夏季の販促会議、取引先へのプレゼン、上司と共に予定している得意先との夕食は、暑気払いという名目の重厚なごますり攻勢である。 「陽介、お前は愚鈍そうに見えて、なかなか客に取り入るのが上手いなァ」  上司は常々僕のことをそう評したが、どうも正しいとは思えない。たとえば客ととりとめのない話をする際、確かに相手は僕の締まりない表情を見て「愚鈍そうな奴」と考えるだろう。そして、こうも考えるはずなのだ。 「こいつなら簡単に利用できそうだな……」   実際に、そういった客は僕が営業担当となってからというもの、こちらの足元を見る要望が多くなった。関連性は不明だが、彼らは決まってそれ以上の出世が望めなさそうな立場の人間である。頻りに接待の話を持ちかける我が上司も、なかなかに人を見る目がない。  しかしながら、僕はこういった社会の裾にある風景にもある種の様式美を感じるまでに侵されていたのだった。カレンダーをめくり溜息こそ吐くものの、破り捨てるまでに至らないのはそれが理由なのかもしれない。  こんな現実を携えて電話に出たものだから、山下はこちらがふり絞ったやっとの声に、怪訝な反応をした。 「暑さにやられたか。声が死んでる」  電話口の向こうからは、男たちの野太い叫び声が聴こえる。 「いや……。うん、暑いなぁ。こんな日にも稽古をしなくちゃならんとは、山下も大変だな」 「夏公演が近いからね、皆も死に物狂いでやっているよ。―――そうそう、ちょっと陽介に頼みたいことがあるんだ」 「頼みたいこと?」  この猛暑の中で頼まれることとは何だ。今度はこちらが怪訝な声を出した。しかしながら、僕の細い声は、山下の背後に響く女の大声に掻き消されてしまった。 「うん? 聞き取れなかった。……つまりね、次の公演は劇団立ち上げから一周年の記念となるわけで、俺たちも出来ることなら大勢人を呼びたいと考えている。しかし、ビラなどを撒いても名もない劇団に興味を持ってくれる人は少ないし、ただでさえ稽古で忙しい毎日だ」 「友達を呼べるか、と期待しているのかもしれないけれど、そんなに広い人脈は持ってない」 「良いよ、数人で良い。お前以外にも声は掛けているからね」 「あぁ、そう」 「一度、稽古を見に来いよ。もうすぐ由比ヶ浜での花火大会もある。それに合わせて、寄ってくれれば良いから――」  山下の声は、そこで途切れてしまった。携帯を切らずに稽古へ戻ったのだろう、彼の怒号が控えめな反響をともないこちらに届いてきた。  花火大会? 反射的にカレンダーを眺める。販促会議、プレゼン、接待、そんなものが織り成す暇なき真夏の様式美。首筋より垂れる汗を拭ったとき、彼は再び座長として檄を飛ばす。 「違うと言ってるだろォ! こうだ、こう!」
       ⁂
     車両に揺られること五十分、湘南新宿ラインは予想を越える混雑で、遅延は数分では済まないことが容易に想像出来た。ドア側に押さえつけられたようにして立つ僕の頼りない身体は、ときに汗をかいた中年男性、ときに浴衣姿の女子大生と駅を過ぎる度に隣の相方を変え、一喜一憂の反応を見せていた。乗客の圧によって胸ポケットから携帯を取り出すことも出来ずに、さきほどから数分おきに振動するそれを想えば苛立ちからか余計に汗が噴き出してくる。  ようやく横浜駅を発ったとき、手摺の脇に生まれたわずかなスペースを利用して着信の相手を確認するも、それは登録すらしていない番号だった。窓から流れてゆく雑木林を見るうち、ふいに山下の声が蘇ってくる。 ―――劇団の誰かにお前を迎えにいかせるから、到着の時間だけ教えてくれ。  そうだ、僕が新宿駅のホームで連絡した時刻から既に十分が回っている。ともなれば、この見知らぬ番号は山下が向かわせてくれた劇団員に違いない。そこまで考えてしまうと、不思議と湧き出た苛立ちというものは消え失せ、相変わらずの押し問答の中に、まだ学生時代だった我々の姿が映し出されたのだった。  大学時代、一浪という似た境遇で上京してきた山下との関係は、必ずしも心地良いものではなかった。彼の言葉より滲み出る冷笑的な癖、僕に欠如していた積極性を彼が生まれながらにして持ち合わせていたこと、また頭脳明晰とまでは言わずとも、意識を向けたその一方に対する優秀な思考と緻密な計画性。深夜までの稽古とバイトの日々で、ろくに講義にも顔を出さない山下の姿に、僕は若者のあるべき姿を見た気がしたのだ。 「俺、退学することになるけど、陽介はしっかり卒業して目一杯仕事を頑張れ。こんな下らん大学でも企業はこぞって取りたがるからなァ」  食堂の隅で昼食をかき込んでいるとき、山下は決して小馬鹿にしているわけではない表情で愚鈍たる学生だった僕を見つめた。 「せっかく一浪して入ったのに、こんな時期に辞めるとは勿体ない」 「歴史ある演劇部があるというから上京してみたものの、あれではダメだ。肥やしにならん」 「外の劇団で稽古は充分なんだろ? 別にやめなくても良いじゃない」  僕がそう言って蕎麦を啜ると、彼は数度頷いた後に咳払いをした。何かしらの迷いがあるとき、彼はいつも普段見せない神経質な仕草をするのである。 「その劇団も、解散することが決まった。年寄りは皆芝居を辞めると言っているが、若い連中はやはり心残りでね。……同意してくれた数名で新劇団を立ち上げることにしたよ」 「山下もそれに加わるというわけだ」 「そう、座長でね」  呟くようにして言う山下の言葉に、僕は激しく咳き込んでしまった。食べかけの蕎麦が器官へと滑り込んだのだった。「座長?」と問う僕に、彼は再びつまらなそうに頷く。  演劇の裾すらも知らぬ僕が驚くというのも、失礼な話だ。しかしながら、幾ら日々忙しなく動き回る友人の姿を見ていようとも、目の前に座る彼が皆に向かって檄を飛ばす光景は、当時僕の脳裏には浮かんでこなかった。  それからというもの、適当に就職活動を始めた僕の横目には、いつも精悍な顔立ちにて座長の役をこなす山下の姿があった。彼からは聞いたこともない厳しい言葉を吐き、ときにそれは周囲の反感を買ったが、やはり根から役者を目指す者たちの集まりにおいては、最終的に団結を生むことになったらしい。名の知れた企業に僕が就職を決めた頃、彼はいまだ名も知られぬ新興劇団を立ち上げた。鎌倉の海沿いに小さな稽古小屋を構えた劇団は、若き座長より「野武士集団」という名が与えられた。
     約束の時間を二十分ほど遅れて、列車は鎌倉駅に止まった。人並みをかき分けて走った僕は改札を出てから大きく深呼吸をしたものの、この混雑では気休めにもなりはしなかった。駅前のコンビニで冷えた麦茶でも買おう、くたびれた表情でそう考えたとき、視界の隅で誰かが手を挙げたのが分かった。 「陽介君……。陽介君でしょう?」  そう言いながらこちらに歩いてくる女、歳はそれほど違わないだろうが、なにせ見慣れない顔だった。頭上の太陽を手で隠しながら苦い表情で頷くこちらに対し、彼女はまったく平気な様子でリュックから冷えた缶ビールを取り出し僕の手に握らせた。改札の近く、乗客の往来は激しさを増して、我々は迫る人を数秒おきに避けつつ会話をしなければならなかった。

     < 続く >

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