村で小さなパン屋を営むエリックのもとへ、若い騎士団員のアレンは毎日のようにパンを買いにやってくる。
入団試験の日、空腹で倒れかけていた自分を救ってくれたパンの味が忘れられず、それ以来、どれほど素っ気なくされても笑顔で通い続けていた。
人と深く関わることを避けて生きるエリックだったが、一途で真っ直ぐなアレンの優しさに触れるうち、閉ざしていた心は少しずつほどけていく。
パンを頬張る幸せそうな笑顔を、もっと見ていたい――その想いは、やがてかけがえのない恋へと変わっていく。
傷を抱えたパン屋と一途な年下騎士が紡ぐ、やさしくあたたかな恋物語。
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数歩で店の端から端まで移動できる小さな店には、食欲をくすぐる香ばしい匂いが広がっている。エリックは我ながら今日も美味しいパンが焼けた、と、一人笑みを浮かべていた。
人の気配を感じて店の外を見ると、何人も開店を待っていた。エリックは店の入り口へ向かい、そのままドアを開ける。カラン、と、ドアにつけているベルを耳にした皆は、いっせいに店の方へ視線を向ける。
「お待たせ! 今日も美味しいのできたぜ! 注文聞くから一人ずつ並んでくれ。あ、ケンカはしないでくれよ」
エリックの冗談に、皆はハハハと笑いながら列を作っていく。以前は揉めごとを起こしたことがあったが、エリックが力ずつで制してからは一度もない。
ある程度整列してきたところで、エリックはカウンターの奥へと入っていく。
「んじゃ、まずコニーさんから」
人だかりができるほどの人気を見せるエリックのパン屋があるのは、平和な島国キヴァリスの中でものどかな村のナバルだ。これといった観光地や特産品があるわけでもない小さな村ではあるが、人々は穏やかにのんびりと過ごしている。
エリックは大人になってからナバルにやって来た、いわゆるよそ者であるが、村の人々は温かく迎え入れてくれた。
「昨日と同じやつあるかい? とっても美味しかったからまた食べたいの!」
「ありますよ。喜んでもらえて嬉しいな」
「エリックのおかげで、毎日絶品なものがすぐに食べられて、こっちが嬉しいよ」
ありがとね、と、コニーが話すのを聞きながら、エリックは丸いパンをトレイに四つ並べた。何層にも重なるこのパンは、ふんわりとしながらほんのりと甘みが広がる。先日売り始めたらとても人気が出ているので、エリックはここ数日ずっと作っている。
「王都から離れたこんな辺鄙なところでありがたい限りだよ」
「ははっ。ここだと競争がないから、俺のペースでできるんで。今日のも美味しいから、楽しんでくださいね」
はい、と、コニーが渡す硬貨を受け取ってから、エリックはパンを詰めた袋を渡した。
「じゃあね、エリック」
笑顔のコニーは手を振りながら去っていった。
「次の……んだよ、アレンかよ」
エリックは黒髪の青年の姿が目に入るなり、あからさまなため息をついた。
だがアレンは、緑色の瞳でエリックを見つめながら、満面の笑みを浮かべている。
「こんにちは、エリックさん。今日もエリックさんのパンで元気が出るように買いに来ました!」
「騎士様は暇なのか?」
「今日は昼からの日なんです。だから出勤前です。まあ、この村は平和なので僕たちはちょっとした困りごとを助けるくらいしかやることありませんけど」
エリックの金髪を吸い込むようなアレンの纏う黒い騎士団の制服は、パン屋に似つかわしくない色をしている。しかし、柔らかい雰囲気を漂わせるアレンのおかげか、この場は和んでいるような気がする。
はぁ、と、再びため息をついたエリックは、トレイとトングを手にした。
「で、何にすんだ?」
「えっと、この真ん中のパンと、あと端っこの果実のパンをお願いします」
「はいよ」
エリックはぶっきらぼうに返事をした。アレンはいいやつで、一番のお客さんだと分かっているものの、どうしても嫌悪感が拭えなかった。
「ははっ、相変わらず嫌われてんな、アレンは」
後ろに並んでいた男性が、アレンに笑いかけてきた。
「ラダムさん……。でも、僕はエリックさんのパンに救われたので、これからも大好きなエリックさんのパンを食べたいですし、エリックさんの売上に貢献したいんです」
「何だっけ? 入団試験前に空腹で倒れてたところに、エリックがパンを差し出してくれたんだっけ?」
「はい! 一口食べただけで一気に力が湧きました。それに、今まで食べた何よりも美味しかったですし、その後無事に騎士団にも入団できました!」
キヴァリスの騎士団は、住民の困りごとを助けることが活動の大半だ。周囲を海に囲まれているおかげで、他国との争いが文献上でしか確認できないほどだった。それでも、いつ何が起きてもおかしくないように、騎士団は存在している。
地道な活動のおかげで、アレンのような若者に人気の職業である。そのため、様々なことができる人が求められており、入団は狭き門である。
「最近はお前のせいで忙しくてしょうがねえ。まったく、俺はここでのんびりパンを作りたいんだ。それに、入団だって俺のパン関係ねーだろ」
「そんなことありません! あんなに元気が出たのは、エリックさんのパンが初めてです」
「よっぽどな空腹だっただけだろ。ほらよ」
エリックは袋に詰めたパンをアレンに突き出した。
「わぁ。ありがとうございます。今お金出しますね」
アレンは胸元のポケットから布袋を取り出して、そこから硬貨を取り出す。
誰から見てもあからさまに冷たい態度を向けられているにもかかわらず、アレンは毎日笑顔でエリックのパンを買いに来る。一体どうしてここまでできるのか、エリックは不思議でしょうがなかった。
エリックもエリックで、アレンが誰かに対して害。成してるわけではないので拒否することはない。けれども、嫌というのを隠すつもりはなかった。
「はい、これで」
「おう。用が済んだならとっとと行け。後ろにどんだけいると思ってんだ」
店を始めた頃は、暗くなってくる頃に売り切れる日があるくらいだった。しかし、アレンが騎士団員として赴任されてから、多くの人に触れ回っていた。そのおかげで、今では行列を成す上にすぐに完売する絶品のパン屋となった。今日もしばらくしたら完売しそうだ。
「今日も大繁盛で嬉しいです」
「はぁ……ったく」
「まあまあ。アレンのおかげで、俺たちは怖い顔のやつがいる店が美味しいって知れたから、ありがたいんだよ」
「顔が怖いって……。ラダムさんには言われたくないっすよ」
「俺たちの人相は泥棒みたいだからな!」
「一緒にしないでくれます? 営業妨害っすよ」
ハハハ、と、ラダムは一人大きく笑っていた。
だがラダムの言葉にアレンは、あっ、と何かを思い出したようだ。
「そういえば最近、王都で泥棒被害が増えてるみたいです。僕たちもしっかり警備しますけど、皆さんも気をつけてくださいね」
「こんな王都から離れた田舎で何を盗むってんだ? エリックみたいなよそもんがいたら、すぐに分かるだろ」
「だから俺を泥棒にしないでください」
「何かあったら、すぐに騎士団に知らせてくださいね」
「はいよ。ほら、ラダムさんの番だ」
アレンを無理矢理追い出す形で、エリックはラダムに話しかけた。
では、と短く言ってアレンは店を出ていった。
「その大きいやつと、あとはー……アレンも買ってた果実のやつよろしく」
「はいよ!」
「ほんとエリックはアレンにだけ冷たいなー。俺の知らないところで何かあったのか?」
「なんもないっすよ。俺が勝手に嫌なだけっす」
誠実で真面目で、村の人のために細かなところまで気にかけるアレンは、何も悪くない。むしろ、将来有望で顔もいいので何もないナバルにはもったいない存在にも思える。
いつだか、エリックのパンをずっと食べられるようにこの村の赴任を希望したと言っていた。仕事にまで影響を及ぼしているほどエリックのパンが好きだと、エリック自身もはっきりと分かっている。それでも、エリックはアレンに対して忙しくなった原因でしかなかった。
「ならいいんだけどさ。はー、それにしても泥棒ねえ。こんな何もねえ村の何を盗むってんだ?」
「強いて挙げるなら作物っすかね。ま、自分たちでも気をつけるに越したことはねえっすな」
「そうだな!」
はいよ、と、エリックはラダムの頼んだパンを袋に詰めて渡した。お金と引き換えに受け取ったラダムは、踊るように去っていった。