「サッちゃんとヒロくんのクリスマス」
十二月のはじめの日曜日、もうすっかりキラキラしてわくわくするような飾り付けのされた街を楽しもうと、ヒロキとサチコの新婚夫婦は横浜の赤レンガ倉庫を訪れていた。そこの特設スケートリンクでスケートを楽しみ、屋外のクリスマスマーケットではシナモンスティックのささったホットワインを飲んで温まった。それから赤レンガ倉庫の中の店を回り、サチコはスノードームを買った。冬の装備の男の子と女の子が手を取り合ってダンスしているやつだ。素朴な人形がよき情緒を生んでいた。その後も色々と店を見て回り、とある雑貨屋へ来た時、サチコは赤と緑の毛糸で編まれた靴下を手に取った。それはお飾りとして程よい大きさで、というのはつまり、丁度お相撲さん用と言ったようなところのものだった。
「靴下か。うん、雰囲気が出るね。どこに飾ろうか」
ヒロキがそう言うと、サチコは、
「いいえ、これは飾るんじゃないわ」
と打ち消した。そしてにっこり笑ってこう言った。
「これはサンタさんがプレゼントを入れる靴下よ」
こう言われて、ヒロキの頭はちょっとの間止まった。
サンタさんがプレゼントを入れる靴下よ、こうサチコが言ったということは、彼女がサンタからプレゼントを貰っているということを意味していた。ヒロキははてと考えた。確かにサンタはクリスマスイブにプレゼントを届けにやってくる。しかしそれは子供達にだけというのが彼の知るところだった。大人にも来るとは聞いたことがない。実際彼の元にサンタが来ていたのは小学生の間のみで、その頃は二十五日の朝目覚めてみるときれいに包まれたプレゼントが枕辺に置いてあったものだが、十三になった年からはぱたりと来なくなった。このサンタとの別れの時は人それぞれだということは、彼も友達との付き合いで知っていたが、でももう二十三になる大人に未だにサンタが来ているというのは、信じられないことだった。
もし彼女のところに今もサンタが来ているなら、もし彼女の世界が自分のそれと違うなら、下手なことは言えまい。大人になればサンタは来なくなるということを知らないなら、それを言ってやるのは何かしら彼女の中にあるものを壊してしまうように思われたからだ。言わずもがな、サンタが来る世界の方が、そうでない世界よりも、ずっと素敵なのだから。
それで、彼はとっさにこう言った。
「サンタかい。そうか、それは大事だよ。サッちゃん、是非ともその靴下を買おうじゃないか」
サチコは嬉しそうに笑ってその靴下を買った。
その夜、ヒロキはベッドに寝転ぶとゆっくり考えた。本当にサッちゃんのところには今でもサンタが来ているのだろうか。二人は新婚で、まだ出会って八ヶ月しか経たぬ二人にとって今年が二人で過ごす初めてのクリスマスだ。だから彼には彼女のクリスマスについては何も知らなかった。冗談だったのだろうか。しかし彼女の顔にその色は見受けられなかった。彼女の家族が彼女のためにサンタ役を引き受けているということはないだろうか。お義母さんに訊いてみようか。でももし彼女の家では子供と言わず家族全員にサンタが恵みを授けているとしたら……そのことを考えるとやっぱり下手に彼女の家族に相談するわけにもいかなかった。最も心配されるのは、今年になって突然彼女の元にサンタが来なくなることだった。もし彼女の家族がサンタ役だったならば、あるいは引越した彼女の家をサンタが特定出来なかったというようなことがあったら……つまり、自分と結婚したことで彼女の世界が壊れてしまうならば……それは、絶対に起きてはいけないことだ。自分は彼女の世界を守らねばならない。それで、もしもの時のために、彼は準備せねばならなくなった。
ヒロキはプレゼントは何にしようか考えた。もし自分がサチコに何かやるならアクセサリーを買ってやりたかった。けれどサンタがそんな高価なものをやるわけがない。サンタが用意できるようなもので、気の利いたものは何だろう。タオル。それはちとダサい。ハンカチ。これはいい案だが、ハンカチ好きのサチコはたくさん持っているから避けておきたい。化粧品や香水はサンタに似合わない。ペン、ノート、本、ポーチ、マグカップ……。どれも悪くはないが、何か意匠を凝らしたところを持ちたい。何か、もうちょっと洒落たものにしたい。最愛のサッちゃんへのプレゼントだもの。ヒロキは毎晩会社帰りに様々な店を回ってはプレゼントを探し歩いた。ちょっとこだわり過ぎたせいか、気付けばもうクリスマスまであと一週間というところまで来てしまった。ここまで来たら少しは妥協しても決めなくてはならない。彼は更に忙しく店を回った。
やはり労というのは実を結んでくれるものなのか、あるいはクリスマスが彼に祝福を与えたのか、いいものが見つかった。それは、手袋だ。女性用の、ほっそりとしたもので、色は紫、そして何より彼の心をひいたのはかわいらしい刺繍が施されているところだった。水色と白の糸で雪の結晶が縫われてあった。これはいい。彼は満足がいった。問題はこれで解決だ。彼はようやく安心してクリスマスを過ごせることになった。
さて、クリスマスイブがやってきた。初めて二人で過ごすクリスマスなのだから、ロマンチックに過ごしたいものだ。夜は家で二人きりのパーティーだ。黄色いギンガムチェックのクロスをかけたテーブルの上にはチキンが、ピザが、シャンパンが。アコースティックギターのクリスマスソングがかかり、デザートにはブッシュ・ド・ノエル、そしてテーブルの上には赤レンガ倉庫で買ったスノードームと、小さな赤いポインセチアの花を飾り、照明を少し落として、蝋燭の灯をともした。
「メリークリスマス」
二人はお互いに用意してあったプレゼントを交換し合った。ヒロキはこの時こそとサチコにブレスレットを渡した。ダイヤのついた、とても華奢なやつだ。サチコの方はゴッホの画集だ。少し前に行ったゴッホの美術展で買い損ねたやつを、彼女はもう一度美術館へ足を運んで買いに行ったのだった。全くいい夜になった。二人は幸せだった。サチコは何度もスノードームの子供達に雪を降らせて遊んだ。
夜は更けて、二人は床に入った。ヒロキはサチコが眠ったのを見届けると、むしろ彼の方は目がみるみる覚めていった。さあここからが彼の大事なミッションが始まるのだ。彼は彼女が枕元に置いた靴下を見やった。サチコはサンタの来るのを楽しみにしながら眠ったのだ。いよいよこれは冗談にはならない仕事となった。今プレゼントを入れるのは駄目だった。もし彼女のところに本物のサンタがやってきたら、プレゼントが二つになってしまう。まずは朝を待ってサンタが来たかを確認する必要があった。彼はサチコがサンタのために開けておいたドアと窓の鍵が開いていることをもう一度確認して、ひとまず床の中に戻って眠ることにした。
翌朝、朝の五時、まだ外の暗い中、寒さに身を震わせながら、彼は起きて靴下を調べてみた。中は空だった。なるほど、ではやっぱりサンタは彼女の家族の計らいだったわけだと了解した。彼は早速手袋を靴下の中へ入れた。そうしてサチコの頭を撫でながら微笑まずにはいられなかった。とてもいい気分だった。その後彼はガウンを羽織り、コーヒーをいれ、ソファに腰掛けてサチコからもらったゴッホの画集を眺め始めた。そうしているうちにうとうときたのだろう、彼は眠ってしまった。目が覚めたのは、愛する妻が耳元で彼の名を囁いたからだった。
「ヒロ君、ヒロ君」
彼が目を開けると彼女は彼をソファに押し倒すほどに抱きついてきた。
「アイ・ラブ・ユーよ、マイ・ラブリー・サンタ!」
彼は彼女の接吻の嵐で息つく間もなかったが、すぐに安心していい事態となったということだけは理解した。
何、サチコは決して悪ふざけをしたのではない。彼女の行動は全くの風流だったのだ。風流の一芸だったのである。彼女は朝起きたらあらかじめ買っておいたチョコレートを靴下に入れて、夫を楽しませ、夢みたいなクリスマスを味わいたかったのだ。
全てを知り、接吻の嵐が止んで、ようやく一息つきながら、彼は心の底からこう言ったのだった。
「ああ、サッちゃん、僕は……僕は本当に君と結婚してよかったよ」
こうして二人にとって初めてのクリスマスはことさらに素敵なものとなったのだった。そしてこの後の日々、二人は今までよりももっと仲良くなったのだった。
(了)
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