平安時代後期・陸奥国。戦をとめるために都へ向かった安倍貞任と藤原経清。少年・源義家との新たなる出会い。そして貞任の出生の秘密が明らかになる。戦と愛憎うずまく歴史冒険ファンタジー小説・第2巻です。文庫・フルカラーカバー付き。
【本文サンプル】
1 義家
白河関を越えると、そこはもう陸奥ではない。陸奥国・多賀城から都へと続く東山道は、下野・上野・信濃・美濃と山国を貫いている。道幅は広いが、決して平坦ではない。
都に上るため衣川を出た貞任・経清・吉次郎の一行は、東山道沿いにある近江の寺で一夜の宿を借りていた。細かい秋雨が優しく降る、穏やかな夜である。
「吉次郎、なんで馬で都へ行かねぇんだよ。この道、山ばっかりだぜ、山! おまけに雨は降るし夜は冷えるしで、俺の足裏は肉刺だらけなんだよ。足が浮腫むならまだしも、手までパンパンに腫れてるんだぜ? もうこれ以上歩きたくねぇ! 俺、歩き過ぎて死んじゃう!」
「うるせぇ、貞任! 文句があるならここに置いていくぞ。それに馬だとぉ? ろくな荷もないのに、馬なんぞ使えるわけないだろうが。今は駅家なんぞ機能しちゃいない。機能していたところで、使えるのは官吏の経清どのだけだ。それに誰がどこで馬の餌をまかなうんだ。大量の草をお前が背負って歩くってのか、ああ?」
吉次郎に凄まれ、貞任は唇を尖らせた。陸奥を出てからというもの、ずっと山道を歩き通しで、肉刺が潰れ皮の向けた足裏が痛くてたまらないのだ。腕を下ろしていると浮腫むため、両手を上げながら歩く始末である。雨が降った日には、ずるずると峠を滑りそうになり、泣きたくなったものだ。信濃の山々の美しさも、歩き通しで疲弊した貞任の目には、全く映らなかった。
旅の間に秋が日増しに濃くなり、夜は底冷えがする。貞任はプルプルと体を震わせながら、火鉢に手をかざした。
「あー、寒い。南に行くから暖かいと思っていたら、とんでもなかった。熊の毛皮を持ってくるんだったぜ」
「貞任。近江まで来れば、都はすぐ近くだ。もう少しの辛抱だ」
火鉢の向かいでは、経清が苦笑いを浮かべている。経清からハトムギの実を煎じた湯をもらう。ハトムギは皮膚の病に効くのだ。体が温まると、貞任は大きなため息をついた。
「経清どのは、つくづく貞任の面倒を見るのがお好きだな。俺の手間が減って、大変助かる」
「いや、貞任どののような、わがまま放題の男子の面倒を見るのは慣れておりまするゆえ」
「だれがわがままだ、わがまま! 俺は思ったことを正直に口にしている、裏表のない男なんじゃないか」
貞任はぶすっとして、干し飯を口に含み、ぼりぼりと噛み砕いた。
翌朝は雨が上がり、澄んだ秋空が雲の切れ間から顔をのぞかせていた。近江・大津は大勢の商人が行き交い、華やいだ賑わいを見せている。逢坂の関を越えれば、山城国であり、京の都は目の前だ。
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関……っと」
貞任が古い和歌をつぶやくと、経清が感心した表情で顎を擦った。
「ほう、貞任は蝉丸の歌を知っているのか」
「うん」
貞任が得意げに頷くと、吉次郎は苦笑いを浮かべた。
「経清どの。本当に、貞任は不思議な男だろう? ガサツなのか雅なのか、時々わからなくなる」
「どちらかというと、ガサツが勝つんでしょうね」
クスクスと笑いあう経清と吉次郎を貞任は睨みつけ、ベエッと舌を出した。