記憶喪失で自分の意思と無関係に瞬間転移してしまう能力を持った少女フィラは、新しく領主としてやって来た聖騎士団団長ジュリアンが、フィラと親しくしている左官屋の記憶を奪うシーンを目撃してしまう。記憶を奪う行為を許せないフィラだが、どうやらジュリアンにはそうせざるを得ない理由があるようで――。
フィラの中に眠る力を狙って現れる魔女、真昼の空に消える月、聖騎士団の上位機関にあたるリラ教会内部の確執、閉ざされた町の秘密……様々な謎に翻弄されながら、フィラとジュリアンは少しずつ距離を縮めていく。重い秘密を抱えた青年と一途な少女が、機械と魔法の共存する荒廃した世界で惹かれ合う恋愛SFファンタジー。
ピアノと飛行機、魔法と機械、本心を告げられずに苦悩する青年と一途な少女、両片思いと政略結婚など、好きな要素をめいっぱい詰め込んだ長編、全八巻完結作の第一巻「晴雨の章」です。
※サイト公開中の「真昼の月の物語」を加筆修正して再録したものです。内容はほぼサイト収録のものと変わりません。
特設サイトはこちら。
http://pluie.halfmoon.jp/moon/ カクヨムさんにて最新版を掲載しております。
https://kakuyomu.jp/works/4852201425154904351 (本文より抜粋)
果てしない草原を割りひらくようなひとすじの道を走ってきたブルーグレーの高級車は、街を一望できる小高い丘の上で動きを止めた。
たった一人で車を運転してきた青年は、首の後ろで一つにまとめた癖のない金髪と純白のロングコートを翻して優雅に大地に降り立つ。
袖と裾に深い青のラインが入り、胸元にスカイブルーの十字をあしらったデザインのロングコートは、光神リラに仕える聖騎士の証だ。光を表す白、空を表す青、誓いを表す十字。それは彼が物心ついた頃からずっと背負ってきたものでもあった。
青年はコートの内ポケットから紙巻き煙草を取り出し、ジッポライターで火をつけてから煙を吸い込んで空を見上げる。
一人で行く、と言った青年を、長年世話をしてきてくれた部下は止めようとした。
もう子どもでもないのに、一人にしたら危ないとでも思われているのだろうか。思い当たる節はなくもなかったが、どうしても一人でこの空が見たくて、わがままを通した。
抜けるように青い、よく晴れた空だ。六月の柔らかな日差しが草原の緑と、はるか眼下に見えるユリンの街並みを色鮮やかに照らし出している。真っ白な壁に木組みをのぞかせた、色とりどりの瓦を乗せた小さな家々。城下を見下ろすロマネスク様式の領主の城。遙か遠くに見える『大地の果て』と呼ばれる文字通り大地を切り落としたようなどこまでも続く崖。
緩やかに吹き付ける風が草原を海鳴りのようにざわめかせ、その間断のない響きの中に、時折遠くで鳥の鳴く声や虫の羽音が混ざる。
泣きたくなる程に平穏で美しい世界だ。
美しく平和な、守るべき世界。そこにこれから自分がもたらすもののことを思うと、喉の奥がざらつくような苦みを覚える。――いや、きっと、慣れない煙草を吸っているせいだ。今さら何かを想う資格など、自分にはない。
とりとめもなくそんなことを考えながら、ぼんやりと青空に視線を巡らせていた青年は、ふとある一点に目をとめる。青空を映したような碧眼が見つめるのは、中空に浮かぶ真昼の月だ。澄み渡る青空に白く浮かび上がる、これから満ちていく半分の月。
青年はどこか痛みをこらえるように目を細め、それから緩慢な動きで煙草を持っていない方の右手を月に伸ばした。自らの視界から月を隠すように伸ばした手を、そのままつかみ取ろうとするように握り、それからまたゆっくりと下ろすと、もうそこに月の姿はない。
月のない青空から、何かを掴んでいるわけもない右手へと視線を落として、青年は静かに笑みを浮かべた。自らの心の虚を、切り刻むような笑みを。
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