十四歳の少女たちは、成人の儀に向けて揺れていた。まだ婚約者のいないヴィエノは、クラスメイトの会話を立ち聞きしてしまい傷つく。逃げ込んだ図書室にいたのは、秀才のエーメリだった。
思春期の少年少女達の、葛藤とささやかな成長を描いたもだもだ微恋愛です。
――どうして周りばかりが輝いて見えてしまうんだろう。持っていないものにばかり、目が向いてしまうんだろう。 だから神様は受け入れろって言うのかな。
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https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10980258 レビュー(鳥井蒼 様)
物語は生きている。特に藍間さんの作品を読んでいて感じるのは、物語はさながら一頭の馬のようだということ。
例えば藍間さんの代表作「white minds」は一頭の馬を駆って大陸を駆け抜けるようである。あるときは深い谷を、またあるときは険しい山を、灼熱の砂漠を、凍てつく氷の海をいくような。それを作者である藍間さんは確かな手綱捌きで馬を操り、進んでいく。
生きているから、思い通りにならず道を逸れることもあるだろう。しかし、それを読者に悟られずに、物語に齟齬を生まずに、馬を本来の地図(この場合はプロット)通りの本筋へ戻すその手腕ときたら、ただただ感服するばかりである。
長編が大陸横断の大冒険ならば、短編は障害飛越競技とでも例えようか。
短編であるからこそ、読者はただ作者である騎手の鮮やかな手綱捌きを、馬が障害物を超える姿の美しさを堪能するだけでよい。単純である。かといって単調では、決してない。
本作、「さきわけ、さきがけ」は思春期の少年少女の物語である。どことなく不穏なプロローグだが、読み進めるうちに不穏さを感じたキャラクターの真実が明らかになり、読後感はすこぶる爽やかである。
主人公のヴィエノは大人しく、自分に自信がない少女だ。だから他者へのある種の羨望が非常に強く、卑屈にも思える考えを友人に対しても抱いている。当初はそれが非常に悲しかったけれど、もうひとりの主人公エーメリとの交流を通して、精神的に成長していくヴィエノの姿が鮮やかに浮き彫りにされて、なるほどさすがの人物造形と唸るしかない。当初はうじうじとした少女が僅か80ページほどの短編を経て、しっかりと前を見据える強さを持つまでになるのである。ラストシーンでは薔薇の芳香や柔らかな日差しを実際に感じられるかのような清々しさである。これは並の書き手に出来ることではない。
もうひとりの主人公エーメリにも事情がある。彼の持つ事情は、いわばマイノリティであるがゆえの諦めであり、ファンタジーでありながら非常に現実的である。
またヴィエノとエーメリの他者との関わりが対称的で面白い。ヴィエノは弱さゆえに他者との関わりを断ち切れず、エーメリは決して強くないがために他者との関わりを絶っていた。どちらの心情もよくわかるために、感情移入しやすい。
脇のキャラクターたちも、皆リアルである。思春期らしい下心に、妬み、押し付けがましい友情に、母への失望……どれも生々しいまでにリアルに描かれている。これらの心情が幾重にも物語に織り込まれ、万華鏡のようにワンシーン、ワンシーンが切り替わっていく。これが、単調に感じない大きな理由である。
短い物語の背後には、藍間さんお得意の広大な世界観が感じられ、この物語だけではなく、もっとヴィエノの物語を、エーメリの物語を読みたくなる。この物語は序章なのではないか、そう思ってしまう。いや、私は掛け値なしに序章であってほしい、そう思っている。ヴィエノとエーメリの儀式を、ヴィエノの未来を、エーメリの首都での生活を見てみたい。エーメリの過去も、はっきり欲を書いてしまえば、ヴィエノを可愛いと認識するきっかけを、読んでみたい。読ませて下さいお願いします!
そうやって読者をもだもだと転がす藍間さんの作品の、私はすっかり虜なのである。